さて、ソフトボール部の思い出も一段落しましたので、今回からはまた別の思い出話を書いていきたいと思います。


学校でしゃべれないとなると、緘黙経験者の中では、大なり小なり差別を受けたり、いじめられたりという経験があるのではと思います。私はというと、どちらかといえばいじめの対象となった経験は少ないとは思いますが、それでもやはり偏見は持たれていたと思います。

一番記憶に残っているのは、中学の時。音楽の授業は、音楽室に移動して行われるのですが、ある時、音楽室で授業を受けていた時、男子は席に着いていて、女子だけが音楽室の前方にあるピアノの前に立って、先生が弾くピアノに合わせてそれぞれのパート(ソプラノやアルト)を練習した時があったんですね。

その時に先生から、「そんなに広がらないで、もっとこっちに並んで~」という指示があって、私を含め、後列の人達が少し男子生徒が座っている席の方へ移動したんですね。そうしたら、前列の席にいた男子生徒が1人、私が近づいてきたのを見て、「うわあ、来たあ~。」 と言ったんです。そして、自分の机を後ろに引いて、逃げるようにしていました。私は緘黙でしたので何も言えませんでしたが、気は強い方なのでキッとその
男子生徒を睨み付けたような記憶があります。その男子生徒は悪ガキタイプで、いわゆるヤンキー、思っていることを平気で言うタイプなので、思っていることを口に出して言っただけなんでしょうが、黙ってはいるけれど他の子の中でもきっと私のことを偏見の目で見ていた子がいたんだろうなって思います。

実際今までに、話さないというだけで、「汚い」「変だ」「気持ち悪い」などと言われたこともありますし、それが周りの人の本音なのかなって思います。緘黙症かどうかは、外見からはあまり判断出来ませんし、一見、周りの子と同じように見られることから、後からの「話さない」というギャップが大きいのかなとは思います。

でも、話せない子にも、普通に接してくれる子だって沢山いるんですよね。私自身、そういう子に沢山救われてきました。緘黙児に話しかけてくれる子って、優しい心の持ち主だなって思います。だから、普段は1人の時が多くても、私の周りに集まってくれる子は、優しい子だらけだったように思います。そういう偏見を持たない人達も多少なり存在していて、そういう人達が周りにいてくれたから、私は今日までやってこれたんだろうと思います。今でも私の緘黙症状は完治したとまでは言えませんが、それなりに今まで
生きてきて、いろんな経験を積みましたので、表向きはある程度自然に対応できるようになった自分がいます。

巷では、いじめで自殺なんてことがメディアで多く取り上げられています。そういうニュースを目にするたび、心の優しい子が減っているのかなと悲しくなります。心優しい子がいたとしても、その他大勢の大きなチカラの方に動かされ、自分の本当の気持ちを出せずにいる子もいるんでしょうね。

先日、メディアで瀬戸内寂聴さんが話されていました。「今の人達は、想像力が欠如している」と。それは、子供に限らず、大人にも言えること。ちょっと相手の気持ちを想像してみればわかること。想像力がないから、相手の気持ちがわからない。虐待やいじめが一向に減らない。

・・・ごもっともです。同感です。きっと、優しい人間が優しい人間を作れるんでしょうね。心優しい親が、心優しい子を育てることができるはず。見本となるべき親が、先生が、大人達がもっと想像力や優しさを身に着ける必要があるのかもしれません。


なんか、話がずれてきましたが・・・話がずれてきたついでに書いてしまうと、個人的に、メディアでのいじめによる自殺の報道は禁止していただきたい。メディアの世の中に対する影響は莫大なものです。良いことも悪いことも、連鎖反応を起こしてしまいます。「いじめられたら、自殺すればいい」という意識を子供達に植え付けやしないかとニュースを見るたびにヒヤヒヤします。文部科学省に届いた自殺予告の手紙を文部科学省のHPで読みましたが、やはり、メディアの影響は大きかったようです。(両親宛の遺書の中でそれらしき文面が書いてあります)

メディアを通して、「今後、文部科学省宛てに届けられた自殺予告の手紙は、差出人があるものだけを本物の自殺予告文だとみなし、それ以外の手紙は、イタズラだと判断する」と発表するべきだと思います。イタズラと本物の区別がわからないまま、ただただメディアで発表するのは、子供達への影響が大きすぎると思いませんか?

なんか、ずっと心に思っていたことを、この場を借りて沢山書かせて貰いました。時間が無くなってきたので、とりあえず終わり!




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