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RA・SHI・KU

”中間族”な私の、緘黙症・恐怖症などの体験談・過去の思い出、自己分析を兼ねて自分なりに調べた情報、子宮筋腫の通院の話、中学で不登校を経験した息子の幼少期から現在の近況など。自分らしく生きていくことを目指しています。

 ソフトボール部(お弁当騒動の巻)

前回の記事「ソフトボール部」の続きになります。

小学校のクラスメイトに誘われるがままにソフトボール部に入部し、誘ってくれたクラスメイトには裏切られた私ですが、私はそのまま中学の3年間をソフトボール部員として過ごしました。私と同期で入部したのは、私を含め確か6人だったと思います。そのうち4人はお友達同士で入部し、もう1人の子と私は単独で入部という感じでした。

私は場面緘黙でしたので、学校ではほとんど言葉を発しませんでしたが、いじめを受けた経験(感覚?)がなく、部活でも特に先輩にいじめられたり、同期の子に仲間はずれにされるということもなく過ごしました。その点は、とても感謝しています。

部活動は、毎朝7時半頃にグランドに集まって朝練、それから放課後に集まって1時間半~2時間ぐらいやっていました。今思えば、ハードな日々でしたね(笑)

土曜日はお弁当を持参して、食べ終わってから13時頃から部活開始だったように思います。お弁当は当初、同期の子もばらばらに食べていたのですが、ある日、同期の子達の間で、”部活のみんなで一緒にお弁当を食べよう!”という話になり、その日から、毎週土曜日にはお弁当を同期のみんなで集まって一緒に食べるようになりました。私も毎回声を掛けられるので、みんなに混じって教室でお弁当を食べていました。緘黙児なので、特に会話するわけでもないですが、そういう集団の一員として参加できるっていうのは、私なりに嬉しいことでした。同期の子達は、本当に優しい子ばっかりだったんですよね。

そんな日が続いたある日の土曜日。他の部活の子がお弁当を食べ始めたりしているのですが、しばらく待っても私は同じ部活の子にお弁当に誘われなかったことがありました。誘ってこないということは、私は1人でどこかでお弁当を食べなけれと思い、自分なりに考えた結果、誰もいない部室でお弁当を食べることにしたのでした。同期の子に誘われなかった以上、教室でお弁当を食べてはいけないと思ったんです。

部室は、校舎から少し離れたグランドの片隅に建っている平屋のコンクリートなのですが、その薄暗くて狭くてホコリっぽい部室に1人でこもり、入り口には鍵を掛けて1人で黙々とお弁当を食べていました。もう少しで食べ終わるっていうあたりで、突然ガラッと部室の窓が開きました。窓から覗き込んできたのは、同期の女の子1人。私と目があった途端、「いた!いたよ~!!」と外に向かって叫んで、それからまたすぐにいなくなったのでした。私はそこで初めて察したのでした。同期の部員達が、私のことを捜していたことを。あえて今回、お弁当の誘いをしなかったのは、もう毎回のことなので誘わなくてもわかっているだろう、誘わなくても集まってくるだろうって思っていたようなんです。でも私は、誘われなかったのは本当はきっと迷惑だったんだろうと思いこみ、今回のような行動に出てしまったわけなのですが。。。

お弁当を食べずに私のことを捜し回ってくれた同期の子達には、本当に申し訳なく思ったのですが、「ごめんなさい」と謝ることも出来ず、そのまま黙って過ごしてしまったのでした。その日の部活動も、同期の子達は何事もなかったように私と接してくれ、とても感謝したのを憶えています。

当時はなぜか、どんなに優しくされても相手になかなか心を開くことが出来ず、学校内の誰に対してもどこにいても常に緊張していて、自分が相手に迷惑を掛けているんじゃないかという意識が常に付きまとい、出来るだけ誰からも離れるようとする傾向があったように思います。人に近づこうとしないから、相手の気持ちがわからない。相手の気持ちがわからないから、怖い。怖いから、みんなから距離を置きたい。そんな悪循環があったのかなって思います。声を掛けてもらえたり、誘ってもらえれば自分から近寄れるんですけど、そういうきっかけがない時は自分がそこにいて良いのか悪いのかの判断が付かないんです。あ、でも、それは今もあまり変わっていないかな。「ここにいちゃ迷惑かな」って思い、近づけなかったり、声を掛けられないってことは未だによくあります。息子の幼稚園の送迎の際の、ママさんだけが集まっている場所って、自分の居場所が無いので正直怖いです。お友達のママさんがいれば、そこには行けるんですけどね。

大人になっても昔と変わっていないところに、この記事を書いていて気付きました。私の感覚で、”ちょっと図々しいぐらい”が、周りにとっては普通なのかもしれませんね。”普通”っていう定義もちょっと微妙なんですけどね



6 Comments

朋花  

るいさん、こんにちは。
お気持ちすごーくよく分かります。
私は緘黙児ではなかったけど
中身は緘黙児と同じだったのだな、とこの頃つくづく思います。

特に高校生ぐらいまでは 自分は価値のない人間と思い込み
人の邪魔にならないようにと過ごしてきました。

母になり、子どもの緘黙と向き合うようになりましたが
「場面」を選んでいるのは自分だな、と感じることが
多々あります。電話一つかけるのだって決意がいります(笑)
ほんと、図々しくいきたいですね、私達(^^)

2006/10/04 (Wed) 14:44 | EDIT | REPLY |   

るい  

to.朋花さん

朋花さん、コメントありがとうございます♪

自分は価値のない人間・・・人の邪魔にならないように・・・
っていうの、よくわかります。
「迷惑かな?」って思うから、誰にも話しかけられなかったりするんですよ。

電話・・・私も苦手です(笑)
連絡網なんかが回ってくると、以前はドキドキしてなかなか
電話できなくて、かなり時間をかけて電話してましたが、
今は対策として、連絡網が回ってきたら、動揺している
余裕がないぐらい、すぐに次の人へ電話してます。
私に電話をくれた人の惰性で電話すると結構うまく行くんですよね(笑)

お互い図々しく!!を合い言葉にがんばりましょうねv-91

2006/10/05 (Thu) 15:22 | EDIT | REPLY |   

ゆきんこ  

電話よりやっぱりブログ

自分の過去を文章にすることは、相当な勇気が要るものですよね。それを顔の見えない第3者に晒すということも。
後から振り返ってああだった、こうだったと反省したり、後悔もしますが、それを誰かの助けを借りたり、自分なりに無理しないでよりよくしていく術が見つかれば、ちょっとした勇気や決意につながるのかもしれません。
電話はその場ですぐになんて言おうってドキドキするけど、ブログは大丈夫かも。
だって、音声と違って消えてなくならないし、何度でも読めるし、間違ったら書き直せる。お互いの忙しい時間も気にしなくていいのに、双方向ですからね。

価値のない人間なんていません。
緘黙というしんどさを背負っている事実をみんなに知ってもらう
必要があるのです。邪魔しないように気遣って生きてきた自分の人生が、図々しい人々に邪魔されてきたことを。

2006/10/07 (Sat) 20:30 | EDIT | REPLY |   

るい  

to.ゆきんこさん

いつもコメントありがとうございます!

最近、幼稚園でのイベントも増えてきて、
息子もお昼寝しなくなったこともあり、
パソコンに向かえる時間が今までの約半分になってしまい、
コメントへのお返事も、ブログの更新も遅れ気味です。
言い訳ですが・・・(笑)お返事遅くなりましたv-421

「口は災いの元」なんてことも言いますし、電話でのやり取りは
正直、怖いなって思います。
その点、確かにブログやメールなどの文字のやり取りは、
時間にとらわれず、何度も書き直しが聞くし、文字で残るので、
後から「なんだったっけ??」なんてこともないですし、便利だなって思います。

「図々しい人に自分の人生が邪魔された」かどうかは、
各人の価値観で感じ方が変わってくるとは思いますが、
私の場合、そういう人に助けられた部分もあるんじゃないかなって思うんですよね。
あらゆることは、ギブ・アンド・テイクで成り立っている、そう思いたいです。

今、図書館から借りてきて、江原啓之さんの本を読んでいるのですが、
この本を読んでいると、あらゆる出来事は自分に必要な出来事で、
今までに出会った人達は、偶然ではなかったんだなってことが
わかってきて、自分の考え方に変化が生じているように思います。
ブログでいろんな皆さんと出会えたのも、必然なんですよ、きっと。

2006/10/10 (Tue) 10:33 | EDIT | REPLY |   

ゆきんこ  

それは、私の感覚でした。

ふ~ん。江原さんの本が出版されているのですね。
こんなにたくさんのブログが溢れているのに出逢ったってことはやっぱり必然でしょうか?
そうそう「図々しい人に自分の人生の邪魔をされた」というのは、私固有の感覚・価値観でした。だから、「違うんじゃない?」「あなたの思い込みじゃない?」と他者から気付きを与えてもらうことって大事ですよね。ありがとうございます。

2006/10/14 (Sat) 12:24 | EDIT | REPLY |   

るい  

価値観の違い、ですね

江原さんの本によると、その時、波長が合っている人同士が
出会ったり、親しくなったりするとのことです。
だから、数あるブログの中からこうやって巡り会ったのも
必然だったのかもと今は思っています。

そういう考えからすると、自分が緘黙児として送ってきた人生も、
自分にとっては必要な過程だったのだろう、なんて思ったり、
いろんなことを肯定的に見る目が出てきました。
そう思えてくると、なんだか気が楽になってきたように思います。

ゆきんこさんの意見も大変参考になりました。
いろんな角度からの意見が聞けて、こちらこそ感謝ですv-218

2006/10/16 (Mon) 15:06 | EDIT | REPLY |   

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