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2017/06
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亀吉じいちゃんとの思い出
さて・・・前に記事を書いた時に思い出した、鶴山亀吉じいちゃん(仮名)との
思い出話を書きたいと思います。

・・・*・・・*・・・*・・・

私が高校2年生の時の話です。
私の通っていた高校では、2年生の時に修学旅行があるのですが、
私も参加して行ってきたのでした。(ちなみに行き先は、大阪、京都、奈良でした)

確か10月頃の修学旅行だったと思います。
私は、母の実家にもお土産の箱菓子を買ってきたので、母経由で祖父母に
お土産を渡そうと思ったのですが、母に、「自分で渡した方がいいんじゃない?」と言われ、
母の実家が通学途中にあったこともあり、自分でお土産を渡すことにしました。

私の家と母の実家は、実はそんなに遠くはないのですが、お盆やお正月以外に
訪問する機会がほとんど無く、私にとっては、祖父母は少し遠い存在になっていました。
そんな状態だったので、私1人で母の実家を訪問するなんてことは初の試みで、
どんな反応をしてくれるのか不安でもあるけれど、ちょっとばかり楽しみでもありました。

そして、いよいよ母の実家へ訪問するぞ!と決めた日、私はお土産の箱菓子を
学校まで持参し、下校途中に母の実家へ寄ることにしたのでした。
下校途中なものだから、私は制服姿だったのだけど、こういう姿を見せたことが
なかったのですが、まあいっか、という感じで母の実家へ行ったのでした。

時間は、午後4時半頃だったと思います。
私は母の実家へ到着し、玄関のドアを開けようとしたところ、しっかりとカギが
掛かっていました。ありゃ、お留守かな?と思いつつ、チャイムを鳴らしてみました。
すると、カーテン越しに物音が聞こえ、亀吉じいちゃんが出てきました。
じいちゃんは、持っていた杖を伸ばしてドアのカギを開けてくれました。

私は笑顔で「こんにちは!」と言いながら玄関の中に入り、
「これ、修学旅行でおみやげに買ってきたからどうぞ~」と言いながら、
箱菓子をじいちゃんに手渡したのでした。
じいちゃんは、箱菓子を受け取った後、私の顔を見て、こう言いました。


「ところで、あんたは誰だ?」


正直、面食らいました。まさか、そんな風に言われるとは思っていなかったので、
動揺した私は、何と説明したらいいのかとっさに思い浮かばなくて、
「私の父は●●(名前)で、母が●●(名前)で、私は末っ子のるいです。」
っていう説明をしたのでした。今思えば、「じいちゃんの孫の、るいだよ!!」
の一言だけで良かったのにって思うのですが、その時はそれが精一杯でした。
亀吉じいちゃん、目をまん丸にしてたなあ。


そんなこんなで帰宅した私は、とても悲しい気持ちでいっぱいでした。
じいちゃんが私のことを気付かなかった、じいちゃんが私のことを忘れていた、という事実。
まあ、滅多に会っていなかったのもあるし、私が制服姿だったのもあるし、子供の顔なんて
成長と共にころころ変化してしまうし、じいちゃんの記憶が追いつかないのもわかります。

だけど。だけど、悲しかった。

今日私が母の実家に顔を出すって知っていた家族には、「行ってきた?どうだった?」
と聞かれました。私は扉越しに制服から私服に着替えていたのですが、
「行ってきたよ~。『あんた誰だ』って言われた」と答えると、姉は、
「ふ~ん。ちょっと寂しいなあ」と言っていたのでした。

私はその後は無言で着替えていました。
我慢していたのだけど、涙が出てきて話せなかったのです。
泣いているのがばれないように、着替え終わると同時に気持ちを切り替えたのでした。

後から母から聞いた話によると、母の実家には若いセールスマンや
セールスレディの訪問販売が多くて、高校の制服を着ていた私を見て、
じいちゃんはまた訪問販売の人が来たのだと思っていたらしい。


それから2ヶ月後の12月。亀吉じいちゃんは自宅で突然倒れたのでした。
私は子供だったので教えられなかったのだけど、たぶん脳出血かな。
寒い日の夜、その日に限っておしゃべりなおばちゃんから母に電話が掛かってきて、
母はずっと長電話していました。

そこへ、祖父母と同居している叔父が、電話が繋がらないからと直接我が家にやってきて、
「じいちゃんが倒れた!」と教えてくれたのでした。
母は慌てて電話を切り、叔父の話だとまだ救急車を呼んでいないっていうので、
母が救急車を呼ぶことにしたのでした。突然の出来事に慌てた母が、救急番号を
ど忘れしたらしく、私が「119だよ!!」と叫んだのを憶えています。

運悪く、私の住んでいた地域には救急車が一台しかなくて、今救急車が別の件で
出動中とのことで、じいちゃんは自宅で約1時間ぐらいそのまま救急車待ちをしたらしい。

そして、それからさらに約1ヶ月後の翌年の1月。
亀吉じいちゃんは、入院したまま息を引き取ったのでした。

私が亀吉じいちゃんにお土産を渡した3ヶ月後に、じいちゃんは亡くなってしまいました。
その間、入院中のチューブまみれのじいちゃんを1度だけ見たのが、
生きているじいちゃんに会えた、最後となってしまいました。

お葬式の時、母の実家で座っていると、知らないおばちゃんから声を掛けられました。

「あんた、るいちゃんだよね?亀吉じいちゃんが笑ってたよ~。
お土産を持ってきてくれた孫が、一生懸命、父が●●で、母が●●でって
丁寧に説明してくれたって。すごくおもしろしそうに話してたよ。」

どうやら亀吉じいちゃんは、私がお土産を渡している時に、途中から私が自分の孫だと
解ったらしいのだけど、言い出せなかったらしい。
もう解っているのに、私がくそ真面目に説明している姿が滑稽に見えたんでしょうね。

でも、私は思ったんです。
亀吉じいちゃんの私に対する思い出が楽しいもので終わったのなら、
それで良かったんじゃないかなって。
確かに、当時は一瞬でも忘れられていたことが悲しかったけれど、
すぐに思い出してくれてたみたいだし。

亀吉じいちゃんは、私とのお土産の時のやり取りが本当におもしろかったらしくて、
ご近所との雑談でこのことを話しては、笑ったりしていたようです。
亀吉じいちゃん、笑いすぎです(笑)

心残りなのは、健在なうちに話をする機会がほとんど無かったこと。
一緒に写真を撮ったこともないですし。
だから、おじいちゃん、おばあちゃんを身近に感じながら成長している私の息子が、
すごく羨ましく思う今日この頃です。


あー、久しぶりにじいちゃんをたくさん思い出しました♪
なかなか帰省できないので、お墓参りにいけないけれど、
心の奥にじいちゃんのことはずっと閉まってあります。
ちなみに、ばあちゃんはまだまだ健在です!
みなさん、おじいちゃん、おばあちゃんは大切にして下さいね!



テーマ : 体験談
ジャンル : 心と身体

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おじいちゃん、おばあちゃんっていいな。
亀吉じいちゃんの話、時々笑いながらほのぼのと読ませていただきました。
思春期の最も記憶力が発揮できる年代と、老年期と記憶力の違いって、意外と果てしないですよね。(個人差もありますが)今は核家族とか、単身家族も当たり前だけど、3世代同居
していれば、御祖父さまが孫のるいさんを忘れるってことはないでしょうね。
私は両親が6歳で離婚したから両家の祖父母とは最も疎遠な
存在感なんてない孫だったでしょうね。
今は老親の介護も他人のお世話になることが増えていますが、血のつながったかけがえのない家族ですから、絆を大切に最後まで看取って差し上げたいですね。
to.ゆきんこさん
ご両親が離婚されているんですね。
私の書いている記事で、もし気に障る部分があったとしたら
申し訳なく思います。

私にとって現在、おじいちゃん、おばあちゃんと呼べる人は、
母方の祖母だけとなってしまいました。
その祖母とも、私が上京、結婚してからは数えるほどしか会えていません。
最後にあったのは・・・8年ほど前だったでしょうか。
気にはしているのですが、今は遠くから気に掛けてやっているだけになっています。

でも、「気に掛けている」ということが一番大事なんじゃないかなって思うんです。
たとえ会えなくても、連絡が無くても、気に掛けている心があれば、
いつかはどこかで通じ合う、解ってもらえるんじゃないかと思います。

綺麗事かも知れませんけれど。。。
人とのご縁って、そう簡単に切れるものじゃないように思います。
血のつながりだけが、ご縁じゃない
るいさん、お気遣いありがとうございます。
孤独に案外強いというか、意外と他人家族の方がいいんじゃないかという価値観の持ち主なんです。
保育所で保育士していたときは、どの子もみんな可愛かったし、今は、子どもに恵まれなかったお客さんと親しくしています。
血のつながった家族でも同じ屋根の下で憎しみあっているよりも、
血がつながらなくたって相手を家族同様に「気にかける」ことができたら、それが理想かもしれません。
勿論、相思相愛のバランスって目に見えないんですが、
それをクールに可視的にした画期的な心理学がABAなんです!(注:ABAについてはマイワールドなので気にしないでください)
ほんと、そうですね。
ゆきんこさん、おはようございます。

>血がつながらなくたって相手を家族同様に「気にかける」ことができたら、それが理想かもしれません。

私もそう思います!!
「兄姉は他人の始まり」「遠い親戚より近くの他人」
なんていう言葉もあり、血の繋がりとは関係ない繋がりというものも
絶対あると思います。
血の繋がりがどうとかいうより、その人を大事に思えるかどうかが
一番大事なことなんでしょうね。

あらゆるご縁を大切にしていきたいなって思うこの頃です。
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るい

Author:るい
場面緘黙・複数の恐怖症・吃音などの経験を持つ主婦。タイトル下の文にある「中間族」とは、自己診断で場面緘黙・恐怖症と知りつつも治療を受けるほどではなく、かといって世の中を上手く渡れない、そんな中間の立場で生活している自分を例えた言葉。知らない場所・空間の中にいるのが苦手。人や環境に慣れるまでに時間が掛かり、その間は会話がなかなか成立しない為、第一印象で「大人しい・根暗・変な人」と思われがち。基本的に面白いこと大好きな明るい性格。慣れればよく喋りますが、文字の方が自分を出せてる気がします。喋るより書く方が好き。

★息子(ゴン)の紹介・・・今春から高1の15歳。運動苦手・勉強苦手・生真面目・大人しいという性格上、未就学児の頃から小学卒業まで嫌がらせなどのトラブル多数。小5、小6の2年間、学級・学年崩壊を経験。嫌がらせ・いじめ・暴力による怪我やトラブルが日常的に。クラスが落ち着き始めた頃、元友達からのストーカー行為により、ストレス性胃炎での遅刻、欠席が頻繁に。区域外の中学で心機一転、すぐに友達も出来、順調に思えた中1の5月、左足不随をきっかけに不登校に(後に心身症と判明)。同7月、WISC-IVでLDと判明。発達性協調運動障害の傾向も。約1年間の通院・カウンセリングを経て徐々に登校日数が増え、中3は欠席ゼロで中学を卒業。推薦入試で第一志望の高校合格をゲット。現在は元気に登校中。

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