さて・・・前に記事を書いた時に思い出した、鶴山亀吉じいちゃん(仮名)との
思い出話を書きたいと思います。

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私が高校2年生の時の話です。
私の通っていた高校では、2年生の時に修学旅行があるのですが、
私も参加して行ってきたのでした。(ちなみに行き先は、大阪、京都、奈良でした)

確か10月頃の修学旅行だったと思います。
私は、母の実家にもお土産の箱菓子を買ってきたので、母経由で祖父母に
お土産を渡そうと思ったのですが、母に、「自分で渡した方がいいんじゃない?」と言われ、
母の実家が通学途中にあったこともあり、自分でお土産を渡すことにしました。

私の家と母の実家は、実はそんなに遠くはないのですが、お盆やお正月以外に
訪問する機会がほとんど無く、私にとっては、祖父母は少し遠い存在になっていました。
そんな状態だったので、私1人で母の実家を訪問するなんてことは初の試みで、
どんな反応をしてくれるのか不安でもあるけれど、ちょっとばかり楽しみでもありました。

そして、いよいよ母の実家へ訪問するぞ!と決めた日、私はお土産の箱菓子を
学校まで持参し、下校途中に母の実家へ寄ることにしたのでした。
下校途中なものだから、私は制服姿だったのだけど、こういう姿を見せたことが
なかったのですが、まあいっか、という感じで母の実家へ行ったのでした。

時間は、午後4時半頃だったと思います。
私は母の実家へ到着し、玄関のドアを開けようとしたところ、しっかりとカギが
掛かっていました。ありゃ、お留守かな?と思いつつ、チャイムを鳴らしてみました。
すると、カーテン越しに物音が聞こえ、亀吉じいちゃんが出てきました。
じいちゃんは、持っていた杖を伸ばしてドアのカギを開けてくれました。

私は笑顔で「こんにちは!」と言いながら玄関の中に入り、
「これ、修学旅行でおみやげに買ってきたからどうぞ~」と言いながら、
箱菓子をじいちゃんに手渡したのでした。
じいちゃんは、箱菓子を受け取った後、私の顔を見て、こう言いました。


「ところで、あんたは誰だ?」


正直、面食らいました。まさか、そんな風に言われるとは思っていなかったので、
動揺した私は、何と説明したらいいのかとっさに思い浮かばなくて、
「私の父は●●(名前)で、母が●●(名前)で、私は末っ子のるいです。」
っていう説明をしたのでした。今思えば、「じいちゃんの孫の、るいだよ!!」
の一言だけで良かったのにって思うのですが、その時はそれが精一杯でした。
亀吉じいちゃん、目をまん丸にしてたなあ。


そんなこんなで帰宅した私は、とても悲しい気持ちでいっぱいでした。
じいちゃんが私のことを気付かなかった、じいちゃんが私のことを忘れていた、という事実。
まあ、滅多に会っていなかったのもあるし、私が制服姿だったのもあるし、子供の顔なんて
成長と共にころころ変化してしまうし、じいちゃんの記憶が追いつかないのもわかります。

だけど。だけど、悲しかった。

今日私が母の実家に顔を出すって知っていた家族には、「行ってきた?どうだった?」
と聞かれました。私は扉越しに制服から私服に着替えていたのですが、
「行ってきたよ~。『あんた誰だ』って言われた」と答えると、姉は、
「ふ~ん。ちょっと寂しいなあ」と言っていたのでした。

私はその後は無言で着替えていました。
我慢していたのだけど、涙が出てきて話せなかったのです。
泣いているのがばれないように、着替え終わると同時に気持ちを切り替えたのでした。

後から母から聞いた話によると、母の実家には若いセールスマンや
セールスレディの訪問販売が多くて、高校の制服を着ていた私を見て、
じいちゃんはまた訪問販売の人が来たのだと思っていたらしい。


それから2ヶ月後の12月。亀吉じいちゃんは自宅で突然倒れたのでした。
私は子供だったので教えられなかったのだけど、たぶん脳出血かな。
寒い日の夜、その日に限っておしゃべりなおばちゃんから母に電話が掛かってきて、
母はずっと長電話していました。

そこへ、祖父母と同居している叔父が、電話が繋がらないからと直接我が家にやってきて、
「じいちゃんが倒れた!」と教えてくれたのでした。
母は慌てて電話を切り、叔父の話だとまだ救急車を呼んでいないっていうので、
母が救急車を呼ぶことにしたのでした。突然の出来事に慌てた母が、救急番号を
ど忘れしたらしく、私が「119だよ!!」と叫んだのを憶えています。

運悪く、私の住んでいた地域には救急車が一台しかなくて、今救急車が別の件で
出動中とのことで、じいちゃんは自宅で約1時間ぐらいそのまま救急車待ちをしたらしい。

そして、それからさらに約1ヶ月後の翌年の1月。
亀吉じいちゃんは、入院したまま息を引き取ったのでした。

私が亀吉じいちゃんにお土産を渡した3ヶ月後に、じいちゃんは亡くなってしまいました。
その間、入院中のチューブまみれのじいちゃんを1度だけ見たのが、
生きているじいちゃんに会えた、最後となってしまいました。

お葬式の時、母の実家で座っていると、知らないおばちゃんから声を掛けられました。

「あんた、るいちゃんだよね?亀吉じいちゃんが笑ってたよ~。
お土産を持ってきてくれた孫が、一生懸命、父が●●で、母が●●でって
丁寧に説明してくれたって。すごくおもしろしそうに話してたよ。」

どうやら亀吉じいちゃんは、私がお土産を渡している時に、途中から私が自分の孫だと
解ったらしいのだけど、言い出せなかったらしい。
もう解っているのに、私がくそ真面目に説明している姿が滑稽に見えたんでしょうね。

でも、私は思ったんです。
亀吉じいちゃんの私に対する思い出が楽しいもので終わったのなら、
それで良かったんじゃないかなって。
確かに、当時は一瞬でも忘れられていたことが悲しかったけれど、
すぐに思い出してくれてたみたいだし。

亀吉じいちゃんは、私とのお土産の時のやり取りが本当におもしろかったらしくて、
ご近所との雑談でこのことを話しては、笑ったりしていたようです。
亀吉じいちゃん、笑いすぎです(笑)

心残りなのは、健在なうちに話をする機会がほとんど無かったこと。
一緒に写真を撮ったこともないですし。
だから、おじいちゃん、おばあちゃんを身近に感じながら成長している私の息子が、
すごく羨ましく思う今日この頃です。


あー、久しぶりにじいちゃんをたくさん思い出しました♪
なかなか帰省できないので、お墓参りにいけないけれど、
心の奥にじいちゃんのことはずっと閉まってあります。
ちなみに、ばあちゃんはまだまだ健在です!
みなさん、おじいちゃん、おばあちゃんは大切にして下さいね!



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