前回書いた「6月18日は、”チビ”の命日(2)」からの続きになります。

・・・*・・・*・・・*・・・

一日一回、夕方のお散歩を日課としていたチビと母と私の共同生活は、私が高校生になっても続いていました。大抵、朝のチビへの餌やりは母の仕事。夕方のお散歩は私の仕事って感じでしたね。

こんな生活がずっと続くんだろうなと思っていたのですが、私が高校3年生となったある日、チビの体調に異変が現れました。詳しいことはよく覚えていないのだけど、嘔吐とかしていたような気がします。今回に限らず、チビは年に2度ぐらいの頻度で体調を崩していたので、今回も2,3日で快復するだろうと思っていました。

でも、今回は違いました。

チビは、食欲不振、嘔吐に伴い、みるみる激痩せしていきました。目には黄疸が見られ、白目のはずの部分が黄色になっていました。獣医さんには連れていった記憶はありません。田舎なので獣医なんていないし、もし獣医が見つかったとしても、たぶん隣の市までタクシーで行かなきゃいけなかっただろうし、我が家には父親以外に車を運転できる人がいなかったので、母と私は為す術もなく、チビのことを見守っていました。

チビはやがて、変な咳をするようになりました。「ゴホー、ゴホー、・・・」というような、深い咳。素人目にも、チビの病気はかなり進行していることが伺え、母と私も毎日、「大丈夫かな」と話をしていました。

あまりにもチビが辛そうなので、母は、途中からチビを繋いでいた首輪の紐を外してやり、チビはよたよたした足取りで、家の周りを過ごしやすい場所に移動して過ごすようになりました。朝、餌をあげるためにチビの姿を探すのが母と私の日課に加わりました。チビは、犬小屋の近くにいることもあれば、隣家の畑の中にいる時もありました。

しかし、そんなチビの放し飼い生活も、長くは続きませんでした。放し飼い生活が1週間ほど続いた1991年6月18日の朝。

たまたまこの時期、仕事先から帰省していた父が、母の代わりにチビの餌やりに外へ出たのですが、すぐに家の中に戻ってきて言いました。

「チビが、死んだよ。」


「え!?」

私は朝食を食べている所だったのですが、母と共に慌ててチビの所へ駆け付けたのでした。

チビはいました。

チビは、家の車庫の前、シャッターが閉められているコンクリートの上で倒れていました。母はチビを撫でてやりながら、「まだ温かいもの、さっきまでうろうろしてて、家に戻ってきて死んだんだろうよ。」と言い、目を潤ませていました。私は・・・泣けませんでした。チビは死んでいるように見えなかったし、何よりまだ体が温かいんだもの。

私はその後、また家の中に戻って学校へ行く支度をしたのですが、自分の部屋で一人になった時、じわじわと泣けてきたのでした。気が強いので、人前では滅多に泣けないんですよね。。。

出掛ける時間になったので、私は車庫のシャッターを開け、眠っているかのように倒れているチビの横を通り過ぎて自転車を車庫から出し、小さい声でチビに、「さよなら。行って来るね。」と言って、登校したのでした。なんていうか・・・私はもともと感情を表に出せないタイプなので、淡々とした感じでチビの死を受けとめていたような気がします。

私が学校から帰ってくると、チビの姿は無くなっていたのでした。後から母に聞いてみたところ、午前中のうちに母と父と叔父の3人で、チビの亡骸を段ボールに入れて親戚の田んぼ近くの山まで運び、そこに穴を掘って埋めて、線香をあげて手を合わせてきたそうです。私は、チビが亡くなったという実感がないまま、チビの亡骸とお別れしたのでした。

この日の夜。私は、不思議な体験をすることになります。

(つづく)

・・・*・・・*・・・*・・・



Secret