2006.05.26 ヤスコのこと
今回は、ヤスコ(仮名)のことを書きたいと思います。

ヤスコと初めて会ったのは、私が4,5歳の頃かな。岩手にある私の実家の前には、車がやっとすれ違うぐらいの道路を挟んで、畑が広がっていました。その畑は、冬場は使われていないのですが、夏場は家畜用のトウモロコシが所狭しと育てられ、収穫の頃には、その畑の持ち主Fさん一家がやって来て、忙しそうに働いていました。そのFさん一家の娘さんがヤスコでした。

私の母が言うには、ヤスコは私と同い年とのことで、私もいつしかヤスコが家の前の畑に来るのが楽しみになっていました。子供の少ない田舎のことだから、同じ子供ということで意識してたのかもしれません。

経緯はわからないけど、ヤスコと家の前で一緒に遊んだ記憶があります。私が覚えているのは、私がどういうわけか骸骨の手足が動くキーホルダー(そんなにリアルじゃないやつ)を持っていて、それをヤスコと一緒に動かして遊んだ記憶があります。会話した記憶はないですね。なんとなく雰囲気でお互い近づいて、一緒にそこにいたって感じでしょうか。Fさん一家が畑で働いている間だけ、しかもほんの短時間しか一緒に遊べないのだけど、それでも、畑仕事のある日は会うのが楽しみでした。

ヤスコは色黒で痩せていて、畑の手伝いをしているせいか、手、足、顔、服、全部土まみれだったような記憶がありますね(笑)私の母は、ヤスコのことを「土だらけで汚い子だ」と言っていました。でも、私はそんなヤスコが羨ましかったな。私は子供の頃から神経質で、ちょっとでも汚れるのを嫌っていたので、全身土だらけになったことがなかったから。真っ黒な姿で、笑うと白い歯が目立っていたのがとても印象的でした。

畑仕事がある時にしかヤスコとは会えなかったので、その年の畑の仕事が終了すると、私とヤスコは来年のこの季節まで会えなくなるのでした。今思えば親に聞けば、ヤスコの自宅がわかったのかもしれないけれど、こちらから会いに行くほどの行動力は私にはなかったし、ヤスコに対しての思い入れもそんなにはなかったのかな。

こういうヤスコとの関係が2年ほど続いた後、私は保育園に入園しました。保育園でヤスコに会えるかなと思ったのですが、ヤスコは家庭の事情で保育園には入園しなかったのでした。もしかして、ヤスコが保育園に入園していたら、私は緘黙を発症しなかったのかなっていう気もするのですが。。。

結局、私が園児だった1年間は、私が日中のほとんどを保育園で過ごしていたため、夏場に畑に来ていただろうヤスコには会うことが出来ませんでした。私は私で入園を気に場面緘黙を発症してしまったので、もしヤスコに会えてたとしても、前みたいに遊べなかったのかもしれませんが。

翌年、私は保育園を卒園し、小学校へ入学しました。ヤスコは?ヤスコも入学してる??特別執着はしていないつもりだったのだけど、ヤスコの姿を探している自分がいたのでした。

いた!ヤスコはいました!

私と同じ小学校に、ヤスコは同じ小学一年生として入学していました。けれど、嬉しかったのは束の間。久しぶりに会ったヤスコは、私のことには全く気付かずに、他の女の子達と楽しそうにしていたのでした。私は小学生になっても緘黙症状を引きずったまま。なので、ヤスコに対してなんのアクションを起こすことなく、起こせるわけもなく、月日は流れたのでした。

お友達が「ヤスコーーー!!」と遠くからヤスコを呼ぶ声がします。「な~に~ーーー!!」と応えるヤスコ。学校での何気ない光景。

私だって、心の中でいつもヤスコのことを呼んでいたんだよ。ヤスコのことは、みんなよりも先に私の方が知っていたんだよ。ヤスコの小さい時も知ってるんだよ。私の方がみんなより先にヤスコと友達になったんだよ。

声にならない私の声。
ヤスコを学校で見るたびに心の中で思っていた私の気持ちは、そのうちただの言葉になり、ただの文字の羅列になり、そして、いつしか私の心は無心になっていました。なんの行動も起こせない私は、心を無にするしかなかったのでした。

ヤスコとは中学まで同じ学校だったのだけど、結局言葉を交わす機会もなく、今に至ります。最後に会ったのは、二十歳の成人式の時。田舎なので、夏の成人式だったのですが、ヤスコは1人だけ振り袖を着て会場に現れ、注目を浴びていました。

カメラを向けられ、色黒の肌に白い歯をにっこりと出して微笑んでいるヤスコ。あの時、私と遊んでいた時のように。あの時と違うのは、ヤスコの中には私の記憶が全くないっていうこと。ヤスコのことは、私の心の奥にしまっている遠い思い出です。

(2008年1月 微妙に追記・修正を加えました)



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