*All archives* |  *Admin*

2017/08
<<  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  >>
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
早死に志願
ちょっと奇抜なタイトルですが、お許し下さいm(__)m

実は私、小学生の頃、『早死に志願者』でした。当時、現役の緘黙児でもあったわけですが、そんなに辛いとか悲しいとか、そういうことはほとんど記憶にないんですね。けれど、ふとした時に沸き上がる感情、それが”早死に志願”でした。

緘黙児でしたから、学校で遊んでくれる友達は1人もいませんでしたが、帰宅後、一緒に遊んでくれる近所の友達は数人いました。時々、一緒に遊んでいる近所の友達に、「あ~、早く死にたいな~」なんて言っていた記憶があります。よく遊んでいた2歳年下の女の子は、「そうだよね~」なんて、私の言うことに同調してくれていましたが、おそらく深い意味もなく私に相づちをうっていただけだろうとは思います。

なんでそんなに早死にしたかったのか。今となってはわかりませんが、子供ながらに現状から抜け出したい・逃げ出したいという気持ちの表れだったのかなとは感じています。いつの頃からか、気が付いたらそんな気持ちはなくなっていました。たぶん、同級生の
中に友人と呼べる人が出来た頃、そんな気持ちはすっ飛んでいったのかもしれません。心のすき間を友人が埋めてくれたのだと思います。

多感な時期には、時折、訳もなく沸いてくる感情もあるのかもしれませんね。ふとした衝動にとらわれることなく、その気持ちが消えてしまったことに関しては良かった~と思っています。今ですか?今は、病気ではなく老衰でこの世を去るのが目標です(笑)


☆ブログランキングに参加しています。 ポチッと応援よろしくお願いします。


テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

Secret
(非公開コメント受付不可)

死の願望があるのも、人間特有のものなのかな?
私の身近には、幼くして或いは、若くして命を絶ってしまった人も
何人かいます。老衰で死ぬのは理想ですが、生き方同様、死に方も思い通りにって難しいのかなと、思います。
昨晩、同僚と「臨死体験で、三途の川を見てみたい。」「危篤になってみたい」と話しました。それも経験してないから軽率に会話にできるのかな~と・・・
「死んだら楽になる」と思いがちですが、死後の世界はまだ科学的には解明できてないし、輪廻転生ってのもありますけど、
あ~、話がつきなくなってきちゃった。
とにかく私、生きてますから、コメントしました!
死への願望のある動物って、おそらく人間ぐらいなんでしょうね。人間は”考える動物”って言われますが、私はさらにその上の”考えすぎる動物”なんだろうなって思っています。考えすぎるから死にたくなるのかな、と。弱肉強食の野生の動物にとって、死は常に隣り合わせで、とても身近な出来事ですが、人間にとって死は非日常的な出来事で、しかも人間特有の想像力で美化されているところもあったりするような気がします。死への願望、憧れっていうか、そういう感覚は人間特有なのかもしれませんよね。

私の周りでも、知っている人や身近な人が若くしてこの世を去ってしまった経験があります。いつどのような形で自分に死が訪れるのかわからない以上、それは突然であり、死に方は選べないんですよね。。。

田舎に住んでいた頃、隣家のおばあさんが老衰で亡くなりました。まるで眠っているかのように、イスに座ったまま亡くなっていたそうです。その話を聞いて以来、私の理想の亡くなり方は『老衰』になりました。あくまでも理想ですけどね(笑)

輪廻転生とか死後の世界とか、個人的には昔から信じてますよ。私も語りだしたらキリがありませんのでこの辺で!i-278i-88
るいさん。丁寧なコメントいつもありがとうございます。
私もオカルトチックな話はかなり好きで、学位論文も「生と死の極限状態」をテーマに書きました。
今日、リンクさせてもらいましたので、仲良くこれからも宜しく御願いします。
リンクしていただきありがとうございますm(__)m
こちらからは、勝手にリンクさせていただいておりました(^_^;)

これからもちょこちょこ遊びに伺いますね。
こちらこそよろしくお願いしますi-189
「生きていたい」なんて思える世界はどこにあるんでしょうか。
人を貶めることでしか自分を保てないような人間が生き残り、真に生き残るべき人間は若くして死んでいく。
こんな理不尽な世界で生きていれば、自然と死後の世界に対する美化意識っていうものも出てきておかしくないと思うんです。
今自分達が生きているこの世界が「生き地獄」で、死んだ後にはもっとまともな世界に辿り着くことができるのでは、こう考えるのもあながち的外れではないように思えます。
生きていてこのまま苦しみ続けるか、生きるのをやめるか。
こう単純に考えてしまえばもう答えは出てしまうんです。
105さん、はじめまして。
訪問&コメントをありがとうございます。

あらゆる物事に対する答えというものは、
その時に自分がおかれた環境、立場、状況など
あらゆる要因によって常に変化するのではないか?と私は思っています。

同じ出来事でも、人によって何通りもの捉え方が存在するように、
人生という長距離の中で、同じ状況がずっと変わらず
存在することは難しいことではないでしょうか。

いろんな考え方が存在する以上、105さんの考え方も一理あると思います。

ただ、死後がどのような世界かわからないように、
自分の未来だって今後どうなるかわからないはず。
今の私だったら、どうなっているかわからない死後の世界へ身を任せるより、
自分で変えられるであろう自分の未来を選ぶかな、とは思います。

難しいテーマを与えて下さり、ありがとうございました。
いろいろ考える良い機会となりました。
挨拶もなしに突然のコメント、失礼しました。
時々、小さなことを気にして落ち込んで、そんな時に↑のようなことを考えてしまいます。
自分は「答え」を出して、過去に何度か自殺を試みましたが、全て未遂になってしまいました。
実際に自殺をしたとはいえ、自分はそれくらい落ち込む時もあれば、
逆にポジティブでいられる時もある人間なので、それ以降は答えを出しかねて、
今もほとんど惰性で生きているんですが。
落ち込んでいる時は、「自分で未来を変えるなんてそんなすごいことは自分にはできない」、
と思うんですが、今は逆で、「そのくらいやらなきゃやっていけない」と思っています。

少し話はズレてしまうんですが、初めてこのブログに辿り着いてびっくりしました。
まず、「緘黙症」という言葉も、その症状も初めて知るものでしたし、
何よりるいさんの書かれている文章を読んで驚きました。
普段他人の考え方に懐疑的な自分がひとつ記事を読んで、すぐお気に入りに入れたくらいです。
それはほんの数ヶ月前のことだったんですが、その頃から、「賢い人の考えていることを知りたい」
という願望があって、それが理由なのかなと思っています。
偉そうな言い方なのでかなり恐縮なのですが、すごく賢い人だな、「賢人」だなと思いました。
単純に文章の書き方が上手いということもあるのかも知れませんが、
それ以上に考え方が柔軟で研ぎ澄まされているというか、上手く言葉では言い表せないんですが、
そんな風なすごみを感じました。

それで、るいさんから頂いたコメントに関しても、全く反論の余地がなくて、
言うべきことを全て言われてしまったな、という感じがします。
自分も、自然と考え直させられたようで、お礼を言われてしまうのも恐縮なのですが、
「こちらこそありがとうございました」。と言わせてください。

確かに、答えというものは常に流動しているのかも知れません。
自分はもっと他に考えることがあるのではないか?そう思えました。
●105さんへ

明けましておめでとうございます!
コメントへのお返事、かなり遅れてしまい、
大変失礼しましたm(__)m

「賢人」だなんて・・・そんな風に思われたなんて
嬉しいやら、恥ずかしいやらです。
今までそんな風に言われたこともないので・・・
確かに、文章を書くのは大好きなので、
単純に文章の書き方が良かっただけかもしれません。

105さんが私のブログをお気に入りに入れる
きっかけとなった記事って、どの記事だったのでしょうか?
よければ教えていただけると嬉しいです。
自分の書いた記事を後日読み返すことがあまりないもので、
ちょっと気になりました。

私も105さんと同様、些細なことで勝手に傷ついたり
思い悩んだりするタイプです。
痛いのは嫌いなので・・・リスカや自殺未遂などの経験はありません。
すごく小心者なんです。。。

ブログでは偉そうにいろいろ書いている私ですが、
実際の場面では、人と向き合う時、動揺している場合が多く、
ブログ内でコメントしているようなことを思う余裕すらないんですよ。
冷静になって、考えながら書くことの出来るブログからこそ、
いろんな文章も書けているのだと思います。

実生活でなかなか思うように行動できない分、
ブログの中では、できるだけ前向きに考え、
自分自身の精神を常に前向きに持っていけるように
意識はしていますね。
常に良いことをイメージするって大事だと思うんですよ^^

長々と書いてしまいましたのでこの辺で・・・
こんなブログでよければ、また気軽にお越し下さいね。
コメント、嬉しかったです♪
あけましておめでとうございます
お返事は、あってもなくても構わないので、あまり焦らずマイペースでよいと思いますです
ご病気なさっていたようですし…

自分がるいさんを「賢い」と思うのは、
るいさんの書かれている文章に反論の余地がないことが大きいのかなと思います。
ある意味卑怯なくらいに文章の、言葉の土台が立っているというか、矛盾なんかも一切ないですし、
とにかく否定できる部分がゼロなんです。
考え方、精神的な面での内容の良さと、読んでいる人の想像力をうまく働かせる文章の間とか順序の良さ
が両立している、とでも言いましょうか…
前者に付いては自分の個人的な考え方とのかみ合わせがよかっただけ、とも言えるかもしれませんけど、
後者に付いては自分以外の方に聞いてみても同じような答えが返ってくるのではないかと思います。

ここのブログには「対人恐怖症」というような検索ワードで流れ着いたことを覚えています。
ヒットしたのは2006年1月10日の「恐怖症とは」だったと思います。
その時点ではまだ
「へー、恐怖症ってこんなにたくさんあるんだなぁ」
くらいの気持ちで、とりあえず最新の記事が見たいと思い、
最初に見たのは2006年10月16日の「ソフトボール部(交換日記の巻)」
で、内容をさらーっと読んでみて、共感できる部分もあり、
また読んでいて場面が非常にスムーズに想像できたこともあって、
2・3回読み直してからお気に入りに入れました。
ブログなんて大抵は自己満足メインのつまらないものが多いんですが、
そんな中でこの決してポジティブとは言えない体験と
それを綴る文章の読みやすさに軽くショックを受けました。

でも言ってしまうとそんなに「すごいすごい」と思っているわけでもないような気もしています。
「このブログはお気に入りに入れておけば後々役に立つだろうな」
ぐらいの、そういう考えだったような気も、します。
「自分が成長するために、必要な情報だった」ということかも知れません。
これだとなんだか冷たい言い方ですが、
るいさんの書かれる文章にそれだけ影響力があるということだとも思うので、
やはりすごいものはすごいのかな、と…。

自分も、現実に人と話したりする時はやはりこんな余裕はないです。
文章にするから色々と言いたいことを言いますけど、実際はあんまり難しいことは喋りません。
無理に喋ろうとすると物凄くタイミングを外してしまって後で後悔することになるので
いつの間にか自然とそれを抑えるようになりました。

リストカットは自分もしたことはありません。
アレは死ぬための手段ではなく自己顕示やストレス発散の手段のようです…
恐らく多いのは前者でしょう…
血を見るのも血という字を見るのも書くのもイメージするのも嫌な人間なので、
リストカットは今後まず間違いなくしません。できません。

友達のブログに、その友達の母の話が書かれていて、
「何かを言ったり書いたりするときに、誰に、何に対してなのかを自律神経系は判断できない。」
という内容でした。
自分が誰かに罵声を浴びせたりすると、相手はもちろん自分にも害がある、ということらしいです。
マイナスイメージを背負って生きるよりはプラスのイメージを持って生きた方がお得なのかもしれませんね。
なかなか難しいことではあるのですが…

長い長い自分語り大変失礼しました。
あんまりコメントが長くなって雪だるま式になったりすると大変なので少し自粛します…。
お体のほう、大事になさってください。
●105さんへ

たびたびのコメント、ありがとうございます。
私の文章に「矛盾がない」と言ってもらえて、嬉しいです。
日頃から自分の発言に自信が持てない性分ですので、
そう言ってもらえると自信に繋がるような気がします。

このブログ(以前はHPでした)を作ろうと思ったそもそもの目的は、
自分自身を見直すための自己分析を目的としたものでした。
なので、自分が関わったと思われる症状、それからいろいろ
調べているうちにわかってきたもの、メモ的に残しておきたいと思うもの、
そういったものもをブログで公表することで、どなたかの
お役に立ったらいいなという気持ちもありました。
なので、105さんが「対人恐怖症」のキーワードでこのブログに
辿り着いたのも頷けますし、「私のブログが「後で役に立つかな」と
思っていただけたというのはとても嬉しく思います。

リストカットって、主にストレス発散の手段なんですね。
私も血って弱いんですよね。子供の頃、学校で血を採取して
血液型を調べたりなんかの検査をした記憶があるのですが、気分が悪くなり、
保健室に運ばれたことが2回ぐらいあります。
今でも、自分が少しでも怪我しようものなら、
どんなに小さな傷でも絆創膏でフタしますね(笑)

105さんのお友達のブログの話、なかなか興味深いです。
相手に言ったつもりでも自分の話し声は自分の耳にも届きますからね。
誰かに罵声を浴びせたら相手にも自分にも害があるっていうのも、わかるような気がします。
私も文章を書きながら、誰かに対するコメントのつもりが
自分にも書きながら言い聞かせているなんてのは常ですから。

私の体調の方は、お陰様でだいぶ落ち着いています。
どうやら私、アレルギー性鼻炎だったようで、
風邪だけの症状ではなかったようです。ややこしいですね(^_^;)
評判のいい名医を見つけて通いだしたので、今年は幸先良さそうです。
105さんも風邪など引かないように気を付けて下さいね。
コメント、いつでもお待ちしております♪
訪問ありがとうございます☆
online☆
現在の閲覧者数:
最新の記事☆
最近のコメント☆
  • 07/13:るい

  • 07/12:小林 一弘

  • 06/29:るい

  • 06/28:ケロ子

  • 06/28:るい

ブログ・ランキング☆
いつもありがとうございます♪





プロフィール☆

るい

Author:るい
場面緘黙・複数の恐怖症・吃音などの経験を持つ主婦。タイトル下の文にある「中間族」とは、自己診断で場面緘黙・恐怖症と知りつつも治療を受けるほどではなく、かといって世の中を上手く渡れない、そんな中間の立場で生活している自分を例えた言葉。知らない場所・空間の中にいるのが苦手。人や環境に慣れるまでに時間が掛かり、その間は会話がなかなか成立しない為、第一印象で「大人しい・根暗・変な人」と思われがち。基本的に面白いこと大好きな明るい性格。慣れればよく喋りますが、文字の方が自分を出せてる気がします。喋るより書く方が好き。

★息子(ゴン)の紹介・・・今春から高1の15歳。運動苦手・勉強苦手・生真面目・大人しいという性格上、未就学児の頃から小学卒業まで嫌がらせなどのトラブル多数。小5、小6の2年間、学級・学年崩壊を経験。嫌がらせ・いじめ・暴力による怪我やトラブルが日常的に。クラスが落ち着き始めた頃、元友達からのストーカー行為により、ストレス性胃炎での遅刻、欠席が頻繁に。区域外の中学で心機一転、すぐに友達も出来、順調に思えた中1の5月、左足不随をきっかけに不登校に(後に心身症と判明)。同7月、WISC-IVでLDと判明。発達性協調運動障害の傾向も。約1年間の通院・カウンセリングを経て徐々に登校日数が増え、中3は欠席ゼロで中学を卒業。推薦入試で第一志望の高校合格をゲット。現在は元気に登校中。

☆来訪された皆様へ☆
当ブログはリンクフリーです。報告していただけると大変喜びます。★家族に内緒で開設しているため、家族が家にいる日は基本的に記事更新・コメントへの返信がほとんど出来ませんのでご理解ください。★当ブログ内の文章・画像などは無断で使用されないようお願いします。★宣伝やネットマナーに反するもの、私の嫌いな言葉遣いのコメントは管理人の権限で予告なく削除となりますのでご理解ください。
カテゴリー☆
緘黙仲間&お友達☆
月別アーカイブ☆
ブログ内検索できます☆
amazon

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。