名前の由来 

2006, 03. 12 (Sun) 15:57

私の名前は、母が名付けてくれました。

小学生の頃、学校の宿題で「自分の名前の由来を聞いてくる」という宿題が出されました。それまで自分の名前の由来なんて考えたこともなく、その時初めて名前の由来を知りました。

その昔、母の知人でとても器量が良く、憧れていた女性がいたとのこと。その人のように素敵な女性になって欲しい。そういう願いを込めて、母はその人の名前をそのまま私に付けたのだそうです。姉の名前は父親が酔っぱらった勢いで付けたのに対し、私の名前は唯一、母が付けてくれたらしいので、感謝しています。

私の名前の由来となったその女性については、私はその人について名前が同じだということ以外、全く知りません。 その人のフルネームもどこに住んでいたのかとか、母とどうやって知り合ったのか等々。機会があれば是非、母に聞いてみたいと思っています。

さて、学校でこの宿題を発表するはずだった授業中、先生は机の並び順に指名していき、みんなそれぞれ自分の名前の由来を発表していったのですが、私の番になると先生は、「るいは発表しなくていいから。名前の漢字を見ればすぐにわかるから。」と言い、私の名前に使われている漢字から名前の由来を先生が勝手に決め付けて発表し、結局、私は発言することなく後ろの席の人へ順番は移ったのでした。

先生が推測で発表した私の名前の由来は、当然のことながら全く違っており、私は内心、「勝手に決めつけるな!!」と憤慨したのですが、緘黙だったため文句も言えず、そのまま今に至ります。この時の担任の先生にはこの時以外にも何かにつけて私に対して嫌がらせ的な態度をとっていました。悔しかったので、今でも先生の名前をフルネームで覚えています。この先生との間にどんなことがあったのかは、追々思い出したら書きますね。(ちなみに、K先生といいます)


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コメント

ゆきんこ

るいさん、ご無沙汰しています。名前って、親から想いを込めて贈られるその人を表す生涯大切なものですよね。先生からすれば、大勢のなかのたった一人で大したことじゃなくても、配慮が足りなかったのかも知れませんね。
卒業シーズンの今日この頃ですが、中学の卒業式で担任に名前を呼び間違えられたことを思い出しました。
緘黙だから憤慨しても文句が言えない。それが記憶から消えない理由なら、私も似たような体験で足を何度も滑らせて、引き摺っているような気がします。だから、先生になれなくてよかったと、教育現場に幻滅し去ろうとしているのかもしれません。これで自分は逆の立場にも、病気にもならないで済むんだって。

2006/03/22 (Wed) 21:18 | ゆきんこ | 編集 | 返信

るい

ゆきんこさん、書き込みありがとうございます^^

名前を間違えられるって、結構ショックですよね。相手は悪気はなかったとしても、間違われた方は、存在感が薄いのではないかとか思ったり、あまりにも深く考えすぎると、自分自身を否定されたような喪失感に陥ったり。。卒業式という最後の場で名前を間違えられるって、かなりのショックだったろうと思いますi-241忘れたくても忘れられないですよね。

”先生”という立場であると、普通の方より多くの子供達と出会う機会が多い分、確かに子供の心を傷付けてしまう機会も多いのかもしれません。そういうことを考えることの出来るゆきんこさんのような人が先生だったら、救われる子供達も多いんじゃないかなってちょっと思いました。(気に障ったらゴメンナサイ)

2006/03/24 (Fri) 17:52 | るい | 編集 | 返信

ゆきんこ

るいさん、私のブログへもコメントありがとうございました。
「先生」と呼ばれることの驕りが自分自身にもあったのではないか?名前とともに、肩書きが自分のアイデンティティを表し、水戸黄門の印籠のような威力を発揮しだすとき、人権問題や倫理観に曇りが生じてくる気がしています。「先生」「医者」「弁護士」などの肩書きを捨てても、「自分らしく」あること、自分と同じくらい相手への思いやりが大切だと思います。
気に障るだなんて、寧ろ最高の褒めことばをいただいて、花の子ルンルンな気分です!
どうか、るいさんも緘黙に関する論文へのいいアイデアがあれば、教えてください。よろしく御願いします。

2006/03/24 (Fri) 20:39 | ゆきんこ | 編集 | 返信

るい

私のコメントを褒め言葉と受け取ってもらえて安心しました^^
花の子ルンルンは、かなり懐かしいですね(笑)

「先生」と呼ばれる職業って、「先生」になるまでの道のりが長い分、いざ「先生」という肩書きをGETしてしまうと、そこで満足してしまいがちなのかもしれませんね。そこに理想とする「自分」という目標がなければ、いろんな意味での成長はあり得ないわけですし。あ、こういうことは、「先生」だけに限らないですよね。

緘黙に関する論文ですか~。私に出来そうなことがあれば是非協力させていただきますね!

2006/03/25 (Sat) 08:06 | るい | 編集 | 返信

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