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2017/10
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近況報告です
ご無沙汰しております。なんの前触れも無くブログの更新が途絶えてしまい、その間にも訪問して下さっていた方には、さぞかしがっかりさせてしまったことと思います。申し訳ございませんでした。

7月、8月は、子どもの夏休みと重なる時期でもあり、PCに向かう時間が無く、ブログの更新はしたくても出来ませんでしたが、9月以降は、実のところ、意図的にブログの更新を控えておりました。というか、ブログを更新する気持ちになれずにいました。気持ちがある程度安定し、一区切りつくまではと思っておりました。その「一区切り」が昨日終わりましたので、ご報告を兼ねてブログを更新します。

9月半ば、義母が急逝しました。義父母とは別居しているのですが、月に一度、一緒に外食するのが恒例で、亡くなった日はちょうど外食を予定していた日でした。義父から「義母が倒れ、救急車で運ばれた」との連絡を受け、慌てて病院へ駆けつけて到着した約5分後、看護士さんに呼ばれて集中治療室へ入ったところ、これ以上の救命措置を続けても状態が好転することはない旨をお医者さんに言われ、死亡宣告を受けました。68歳でした。

自宅で倒れた時点ですでに心肺停止状態で、即死状態だったようです。死亡宣告を受けた直後、義母の手を握りましたがすでに冷たくなっていました。あまりにも急なことで、しばらくは現実を受け入れられませんでした。まるで他人事のような、ドラマの中の出来事のような・・・信じられない現実がそこにはありました。

慌ただしく、お葬式が行われました。義父の強い希望があって、義母のお化粧は私がやりました。お通夜の日、時間より早めに会場に入り、メイクをしました。氷のように冷たくなってしまった義母の顔に私の手が触れるたびに、深い悲しみが押し寄せました。遺影を見ながら、いつもの義母のメイクに近づけるように自分なりにやらせてもらいました。 正直、義母とはいえ遺体と対面することはとても怖かったのですが、全く女らしくなかった嫁の私が、最後に義母に対して女らしいことをしてやれたことは、今となってはメイクをやらせてもらえて良かった、と思っています。

お葬式も無事に終わり、昨日、四十九日の法要が行われ、納骨も終わり、一区切り付きました。四十九日の法要は、義父、主人、私、息子の家族4人で行いました。しっかりとお経をあげてもらい、気持ち的にも区切りがつきました。気が抜けた感じでもありますが・・・・。

義母との思いがけない別れに、悲しみが癒えるのは相当先のことかと思いますが、四十九日の法要を区切りとし、遺された家族としては、前向きに生きていかなければ!と思っています。今はとにかく、1人暮らしになってしまった義父のことが一番心配です。義母が亡くなって以降は、毎週末、私の手料理をタッパに詰めて持参し、お裾分けしております。義父に頼まれたわけではなくて、そうしないと私の気が済まないんですよね、心配で。それ以外は、コンビニ弁当か立ち食いそばで済ませてる感じなので。大量にタッパで持っていくので、2、3回に分けて食べているようです。

そういえば、義母もよくタッパにおかずやら何やら入れて、うちにお裾分けしてくれたんですよね。私がまだ主人と共働きだった頃には、直接旦那の実家へ帰宅し、夕飯を当たり前のようにご馳走になってから自分の家へ帰宅したものです。まだ結婚していない頃にも、週末には夕飯をよくご馳走になっていたので、そのうち、旦那の実家に私専用の箸が用意されていて、結婚していないうちから家族のように接してもらいました。

物事をはっきりズバズバと言う、言い過ぎる義母でしたので、正直、憎たらしく感じたことも多々あったのは確かです。義父も主人も、義母のことは「わがままな性格」と納得しておりました。けれど、気持ちに嘘のつけない、裏表の無い、あらゆる言動には悪気など無く、ある意味、ピュアな心の持ち主だったように思います。悲しい時は心の底から泣き、楽しい時は心の底から笑う方でした。自分の気持ちを全部表に出せるという、私にはない部分を持った方でした。私が昔より物事をはっきり言えるようになったのは、まだ主人とお付き合いしていた頃、義母に「はっきりしない人は嫌いなんだよね」とズバリ言われたことがきっかけだったように思います。私は義母にとって相当嫌いな性格だったのでしょう。「まさか結婚するつもりじゃないんでしょう?」と言われたこともありました。

そんな義母と私は、主人と結婚する前の期間も入れると約18年間ものお付き合いでした。私が田舎で実母と暮らしていた期間とほぼ同じ期間になります。私にとってはまさに、「東京のお母さん」でした。とても身近な存在である親を失う悲しみが、これほど深いものだとは思いませんでした。そして改めて、自分自身が「親がいつ死んでも不思議ではない年齢」に達していたことを思い知らされました。

私には今、実父母、義父の3人の親がいるわけですが、生きているうちに親孝行をという気持ちが今まで以上に強くなりました。突然の別れに、後悔なんてしないように。

長くなってしまいましたが、近況報告として書かせてもらいました。
今後もマイペースですが、ブログを更新していきますので、よろしくお願いします。



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ご愁傷様でした。
親孝行は生きているうちに・・・
私もいつでもそう思うんだけどな~!
全然孝行できてない。
せめて親より先に逝かないように、体調管理には少しでも気をつけようと思ってます。
高血圧・コレステロール・中性脂肪・尿酸値・・・・うえ~!?
Re: タイトルなし
小林さん、ご無沙汰しております~。
そして、ご丁寧にありがとうございます。

義母が、まさか60代で逝ってしまうとは思わなかったもので、
なかなか現実の出来事だとは思えませんでした。
持病があったにせよ、あと10年は生きて、孫が成人するのを
見届けて欲しかったのが本音です。

親孝行は、親が元気なうちにするものなんですよね。
元気すぎると、後回しにしてしまいがちですがi-229

> せめて親より先に逝かないように、体調管理には少しでも気をつけようと思ってます。

そうですよね、私も親より先には逝かないように頑張ってます(笑)
主人が義母に似てちょっと病気がちなので、かなりやばいですがi-201
後、5キロはダイエットさせないとと計画中です。

小林さんも、健康管理、気を付けて下さいね!
コメント、ありがとうございました!
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るい

Author:るい
場面緘黙・複数の恐怖症・吃音などの経験を持つ主婦。タイトル下の文にある「中間族」とは、自己診断で場面緘黙・恐怖症と知りつつも治療を受けるほどではなく、かといって世の中を上手く渡れない、そんな中間の立場で生活している自分を例えた言葉。知らない場所・空間の中にいるのが苦手。人や環境に慣れるまでに時間が掛かり、その間は会話がなかなか成立しない為、第一印象で「大人しい・根暗・変な人」と思われがち。基本的に面白いこと大好きな明るい性格。慣れればよく喋りますが、文字の方が自分を出せてる気がします。喋るより書く方が好き。

★息子(ゴン)の紹介・・・今春から高1の15歳。運動苦手・勉強苦手・生真面目・大人しいという性格上、未就学児の頃から小学卒業まで嫌がらせなどのトラブル多数。小5、小6の2年間、学級・学年崩壊を経験。嫌がらせ・いじめ・暴力による怪我やトラブルが日常的に。クラスが落ち着き始めた頃、元友達からのストーカー行為により、ストレス性胃炎での遅刻、欠席が頻繁に。区域外の中学で心機一転、すぐに友達も出来、順調に思えた中1の5月、左足不随をきっかけに不登校に(後に心身症と判明)。同7月、WISC-IVでLDと判明。発達性協調運動障害の傾向も。約1年間の通院・カウンセリングを経て徐々に登校日数が増え、中3は欠席ゼロで中学を卒業。推薦入試で第一志望の高校合格をゲット。現在は元気に通学中。

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