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2017/07
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私の電話恐怖症体験談 その2
これは、最初に就職した会社を辞め、転職先で発症した電話恐怖症の体験談です。私にとっては2回目の電話恐怖症体験になります。

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私は最初に就職した会社を約3年で辞めることになりました。電話恐怖症はかなり緩和していて、仕事も自分に向いていると感じていたのですが、女性が大半を占める職場だったこともあってか、どろどろした人間関係に疲れ、退職に至ったのでした。(このことは、機会があれば後日書きたいと思います)

新しい転職先は、社員数30名ほどの中小企業でした。そのうち女子社員は私を含め3人。それも私以外の女子社員2人は専門のオペレーターとして従事しており、私とは別の立場でした。男性社員は外出することが多い会社でした。以前私の立場で働いていた人は、いつも率先して電話の応対をこなしていたらしく、その流れからいって、私が電話を取って当然みたいな空気はあったように思います。私も前に電話恐怖症を経験してから月日が経っていたし、以前の電話に対する恐怖心を払拭する意味も含めて、積極的に電話に出るようにしていました。ドキドキしながらも入社4日目で電話の応対をやり始めました。

会社にかかってくる電話は1日に約30~50本なのですが、平均すると10~20分に1回は電話の応対に追われることになります。その度に私の仕事は中断、外出先の担当者がつかまるまで携帯電話やポケベルで連絡を取りまくり、来訪者がいれば受付、接客もこなさなければならないという感じで、入社から数ヶ月はとにかく会社になれるまでは大変なんだと思い、じゃんじゃん電話もこなしていました。

それから数カ月が経ち、会社にも仕事にも慣れてきて、周りの人達の様子にも目が届くようになってきました。すると、どうでしょう。電話が鳴っているにもかかわらず、楽しそうに無駄話をしている社員の姿を何度も見かけるようになりました。「同じように仕事をしているのに、なんで私だけが電話を取らなきゃならないの?」そう思い始めたある日、いつものように電話応対をしている中、突然、「お待ち下さい」という言葉が言えなくなってしまいました。「少々」まではすんなり言えるのですが、その後を続けることが出来ないのです。「なんで言えないんだろう?」とものすごく動揺しました。

その後も電話で言葉に詰まることが続き、そのうち電話が鳴る度に「また言えないかもしれない」と動悸がするようになりました。気にすれば気にするほどだんだんと症状は悪化してきて、そのうち、「お待ち下さい」と同じ、最初に”お”の付く言葉が出にくくなってしまいました。「”お”世話になっております」「「”お”先に失礼します」などなど。。気が付けば、電話応対の時に限らず、普段の日常会話でも「お」という言葉が言えなくなっていました。それでもいろいろと言い回しを替えてみたり、なんとか自分なりに電話応対をこなしていました。

こんな状態が続き、入社1年半経ったある日、電話を受けての第一声となる自社名が言えなくなってしまったのです。受話器は取り上げてみたものの、口がパクパク動くだけで声が出てきません。「もうだめだ、電話は取れない・・・」そう思い、私は電話を取ることを突然止めたのでした。ここまで症状がひどくなっては私自身の問題だけでは済まなくなる、電話をかけてきた取引先へ対する会社の印象が悪くなるのではと思ったのです。私が突然電話を取らなくなったことに気付いた女子社員達は、それからやっと電話を取ってくれるようになったのでした。

入社1年半でこういう状態にまで陥ってから、その後約4年半もの間、私が出産の為に会社を辞めるまでこの症状は続いたのでした。その間、自分から電話をかけることさえ恐怖の対象となっていました。女子社員が席を外していたりして、どうしても私が電話を取らなければならないことも数回あったのですが、やはり声が出るわけでもなく、受話器を取り上げてから無言だったりしたこともあって、電話をかけてきた取引先から会社の担当者へ苦情が出たこともあったようです。

今思えば、本当に辛い日々でした。入社当初から私の人見知りが激しく、同い年だった女子社員2人と親しくなることに失敗した私は、その後会社で気軽に話の出来る人がいない状態のまま過ごしました。私は入社2年目で結婚したのですが、それまでは義理で飲みに誘ったりランチに誘ったりしてくれていた女子社員も私の結婚を機に義理でも誘いに来なくなりました。突然私が電話に出られなくなった時も、理由を聞きに来たり、こちらから相談に行けるような関係でもなく、本当に仕事で用がある時だけの関係で終わったのでした。私はといえば、通勤で会社が近づくに連れ、体調を崩したり、吐き気に襲われたりという日々を送っていたのでした。はっきり言って入社してすぐに会社を辞めたい気分だったのですが、結局ここの会社には6年間勤めたのでした。電話恐怖症の症状を引きずったまま。仕事への責任感だけで過ごした日々でした。

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で、現在。専業主婦になった私ですが、会社から遠のいたことで症状はかなり緩和している状態です。とはいえ、やはり電話に対する苦手意識というか恐怖心はどうしても払拭できず、旦那の実家に電話することがつい最近まで出来なかった次第です(^-^;子供が産まれて、義父母と会う回数が増えて、それでやっと義父母との距離が縮まったことで、電話する時のドキドキ感がほぼ無くなってくれました。電話がかかってきてもほとんど動揺もしなくなりました。基本的に人と話すのが苦手なんでしょうね。またいつか、会社に勤めていたころのような状況に追い込まれた時に再び電話恐怖症を発症するかもしれません。そういうことに対しての不安感は常に抱えて生活している次第です。




テーマ : 視線恐怖症(自己・他者・脇見、対人恐怖)
ジャンル : 心と身体

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同じよ~笑。電話も苦手、っていうか嫌い。
仕事始めたころ、一番下っ端の私は電話に出るのが当たり前で、1コールで出るように言われてた。
だからちょっと席をはずしてたりすると、走って受話器を掴みに行ってたよ(笑)。
最初の頃なんて、電話で問合せされたりしても分からないから結局先輩に取り次ぐんだよね。でも出ないと仕事も覚えられないし、慣れるまでは本当に大変だったよ。。。
有難い事に、当時の電話恐怖症は慣れたら平気になったけど、今でも知らないところに電話しないといけない時はドキドキしちゃう。必要以上に緊張して、結局掛けられなかったりするんだよね。。。

るいさん、言葉が出なくなるなんてすごく怖い思いしてたんだね。。。でも6年も勤めたなんてすごいじゃない!
体験もリンクするのですね。
るいさん、OL時代のお話驚きました。
私も社会人1~3年目の似たような体験をしました。
心身症3歩前って感じで辞めて、転職したのです。
親しくなりたかった同僚ともなれなかったなんて、
悲しい思いをされたでしょうね。

OL時代のことは、「24歳の心模様」というエッセイで拙い文章ですが書き残しています。
電話は今も自分からは滅多に友人にしかかけないから、メールは我々にとってホントに嬉しいコミュニケーション手段ですね。
野ウサギ。さんへ
コメントありがとうございます~。
視線に引き続き、こちらも一緒なんですね~。
気持ちのわかる人がいるって、心強いです。

1コールで電話に出るって、すごいです(>_<)
私は確か3コール以内に出るようにって言われたんだけど、
全然電話に慣れなくて、1コール目で心臓が「ドキッ!」として、2コール目で動機がしてきて、
3コール目には手が震えていましたね。
相当苦手分野です(>_<)

野ウサギ。さんは、当時、慣れたら平気になって良かったですね。羨ましいです。。

言葉が出なくなるって、ホント怖かったですよ。
ストレスも半端じゃなかったです。
一気に5キロは痩せました。。。。痩せたのは嬉しかったけど(笑)
ゆきんこさんへ
コメントありがとうございます~。
ゆきんこさんも似た経験があるんですね。
緘黙体験者はみな一度は経験しているのかもしれませんね。

学校生活でもそうでしたが、組織に属しているのに、
実際は属していない、浮いた存在でいることって、
とてもストレスになりますよね。
なんとか馴染みたい、と思う気持ちとうまくそれが行動に表せないという
ジレンマとずーーーっと戦っていたような感じでした。

後半、誰にも相手にされなくなったことで、ある意味
吹っ切れたのが
6年間勤務できた理由でもあるような気がします。

メールって本当に便利ですよね。
話さなくても良いだなんて、普及してくれて感謝です。

ゆきんこさんのOL時代のお話、今は時間がないので、後で読ませてもらいますね。
でも結局、女性は専業主婦という、”逃げ場所
があるからいいですよね。
男にはありません。
電話キライな男さん、コメントありがとうございます。

電話と接する回数が減ったという点からみれば、確かに
”専業主婦”は逃げ場所なのかもしれませんね。
けれども現実は、一時的な逃げ場所という感じでしょうか。

結婚したり、子供が生まれたりすることによって、専業主婦には
また新たな恐怖が加わることになります。
結婚したことで、良くも悪くも親戚が一気に増えます。
子供が生まれることで、公園デビューやママ友との付き合い、
暗中模索の育児などさまざまな人間関係や不安が増え、
専業主婦になったから働いていた頃より楽になったかといえば
決してそうとは言えないような気がします。

「一難去ってまた一難」という言葉がありますが、人間には絶えず
試練が巡ってくるようにできているのかな、なんて思います。
男だ、女だという前に、人間として立場や環境が違えば、各人に対する
負担やストレスも当然違ってくるだろうし、同じ物事をこなすにしても、
各人の感覚が違う分、さまざまな感じ方があるんだろうと思います。

あまりにも現在の状況が辛いのであれば、ご自分の”逃げ場所”を
探してみたり、もしくは逃げ場所を作ってしまうのも手かと思います。
自分の物事に対する考え方・見方を少しずつ変えてみるのもいいかもしれません。
一番いいのは、電話から離れられればいいのですが・・・

電話キライな男さんの電話に対する状況が少しでも良い方向へ変化しますように。
同じように電話が苦手な私の、せめてもの願いです。
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るい

Author:るい
場面緘黙・複数の恐怖症・吃音などの経験を持つ主婦。タイトル下の文にある「中間族」とは、自己診断で場面緘黙・恐怖症と知りつつも治療を受けるほどではなく、かといって世の中を上手く渡れない、そんな中間の立場で生活している自分を例えた言葉。知らない場所・空間の中にいるのが苦手。人や環境に慣れるまでに時間が掛かり、その間は会話がなかなか成立しない為、第一印象で「大人しい・根暗・変な人」と思われがち。基本的に面白いこと大好きな明るい性格。慣れればよく喋りますが、文字の方が自分を出せてる気がします。喋るより書く方が好き。

★息子(ゴン)の紹介・・・今春から高1の15歳。運動苦手・勉強苦手・生真面目・大人しいという性格上、未就学児の頃から小学卒業まで嫌がらせなどのトラブル多数。小5、小6の2年間、学級・学年崩壊を経験。嫌がらせ・いじめ・暴力による怪我やトラブルが日常的に。クラスが落ち着き始めた頃、元友達からのストーカー行為により、ストレス性胃炎での遅刻、欠席が頻繁に。区域外の中学で心機一転、すぐに友達も出来、順調に思えた中1の5月、左足不随をきっかけに不登校に(後に心身症と判明)。同7月、WISC-IVでLDと判明。発達性協調運動障害の傾向も。約1年間の通院・カウンセリングを経て徐々に登校日数が増え、中3は欠席ゼロで中学を卒業。推薦入試で第一志望の高校合格をゲット。現在は元気に登校中。

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