RA・SHI・KU
”中間族”な私の、緘黙症・恐怖症などの体験談・過去の思い出、自己分析を兼ねて自分なりに調べた情報、子宮筋腫の通院の話、中学で不登校を経験した息子の幼少期から現在の近況など。自分らしく生きていくことを目指しています。
2013.02.15 (Fri)
テレビ番組を見ました
幼稚園入園をきっかけに発症。幼稚園では一言も話さず、家でも見知らぬ人が来れば沈黙。お友達を自宅に招いても言葉は発せず。小学校へ入学するも、状況は変わらず、授業中の本読みも出来なかったようです。
克服のきっかけは、ホームビデオ。おじいちゃんへのビデオレターのために撮影したビデオでしたが、少女が意気揚々と話す姿が映ったビデオを、お母さんは学校の担任の先生へ見せます。「これが、娘の本当の姿なんです!!」
まるで別人のように話す少女の姿に驚く先生。そこで、先生から提案が。「これをクラスのみんなに見せませんか?」
少女に内緒で、ある日、教室のみんなにビデオを見せる先生。「話してる!!」「話せるんだね、すごい!」とクラスのみんな。それを機に、少女は少しずつクラス内での緊張感が和らぎ、緘黙症状を克服していきました、というサクセス・ストーリー。
これが、7歳の時のお話のようです。7歳で克服への一歩を踏み出せたというのは、本当に対応が良くいった一例だと思います。見方によっては、ホームビデオをいきなりクラスのみんなに見せちゃうっていうのは、かなりの荒療治ですよね。まだ低学年のうちだったから良かったのかも。中学ぐらいでこんなホームビデオ見せられたら、「学校と家でわざと使い分けてるんじゃない?」なんて言われかねないかなと思います。
17年経って、現在24歳になった少女。自分で話せるようになったものの、まだ仕事上でも電話は苦手とのこと。電話はやっぱり苦手ですよね。同感です。彼女は、現在、モデルの仕事をしているようで、周りのフォローもありつつ、良い環境で成長できているようです。
番組の録画を見ながら・・・クラスのみんなに理解されるシーンでは、感情移入してしまって、ついつい涙が・・・

彼女はきっと、高学年になる頃にはお友達とおしゃべりできるようになっていて、中学、高校は楽しく過ごせたんでしょうね。そう思うと、羨ましい限りです。
私の両親は、私が場面緘黙だってことを未だに気づいていないことでしょう。私は、親に助けられることなく、偶然できた友達に恵まれたおかげで少しずつ克服し、知らない場所でも知らない人相手でも、ある程度は自分で話せるようになりましたから。結婚もしたし、子どもも生んでるし、現在に至っても、場面緘黙の後遺症で困っているとは、想像できてないんだろうな。そう思うと、ちょっと複雑な気持ちではありますが。
対人関係でストレスが溜まりやすいのと、電話が苦手なのもあり、現在、専業主婦な私。私が仕事でも始めた日にゃ、ストレスで体調を崩し、炊事や家事はかなりの疎かになってしまうことでしょう。主人も、そういう風に私のことを理解しており、だからあえて私には、「家にいろ。体調崩して、飯作ってくれなくなると困るから」と、あえて私を専業主婦にしてくれているんですよね。
そのことを知らない私の両親。ことあるごとに、「子どもが大きくなったんだから、そろそろ働かないとね」と言ってきます。うちが経済的に厳しいので足元を見られての発言なんですが・・・私もわかってはいるのですが・・・動かなきゃいけないのに動けないのは、辛い状況です。世間的には、「いい大人が、何言ってんの?」って言われることでしょう。「人間、やる気になればなんでもできる」なんて言われることでしょう。そうなんでしょうけど。それは、正論なんでしょうけど。
なるようになれない状況っていうのも、あるんですよね。
テレビの影響力って大きいですよね。この番組を見た人が、場面緘黙という症状(番組では、病気と言っていましたが)に興味や理解を持ってくださる方が増えることを期待したいです。



