泣きながら・・・ 

2011, 12. 15 (Thu) 08:56

泣きながら・・・自転車に乗っているこの頃風が冷たくて(笑)
12月も半ばとなり、随分と寒い日が増えましたね。この時期の私は、自転車に乗りながら上記の理由で泣いております。

走行中の冷たい風が、目に当たるのが原因かと思うのですが、メガネを掛けてもダメで。手袋で涙を拭き拭き・・・。こういうのって、私だけでしょうか?泣きながら自転車乗ってる人、見たこと無いので。。。

記事のタイトルで、てっきり義母や祖母が逝去した話かと思われた方もいるかと思うのですが、いつまでも泣いていられないので。たまに思い出して涙ぐむこともありますが。だって、旦那の寝顔があまりにも義母にそっくりなので、思い出さずにはいられないのです。

生前の義母の寝顔は見たことなかったのだけど、棺の中で目を閉じていた義母の目元と、部屋のその辺でひっくり返って寝ている旦那の目元が瓜二つで・・・思わず旦那にメイクしてやろうかと思いました(笑)(ちなみに、旦那は疲れていると、固い床の上だろうがベンチの上だろうが、平気で寝てしまう強者です。)

先月、いつも年賀状をやりとりしている方々に「喪中欠礼ハガキ」を出しました。義母が好きだったお花や、紅葉した紅葉(モミジ)の柄を義父が選んだので、2種類のデザインで私が作り、義父の分とうちの分とどっさり出しました。そのハガキで初めて不幸を知り、レスポンスもちらほらと。

私には唯一、中学生の頃からの友達が2人いるのですが、先日、1人からは手紙が、もう1人からは電話が来て、久しぶりに年賀状以外で連絡を取りました。Sちゃんからは、お悔やみの言葉と、近況を綴った手紙が届きました。Sちゃんとは、中学・高校が同じで、就職先も同じで同時期に上京し、同じ年に結婚したという腐れ縁なのです。数年後、Sちゃんは離婚してしまい、子ども3人連れて田舎へ戻ってしまいましたが。今回の手紙で携帯のメルアドを交換し、ここ数年距離があったのですが、ちょっと距離が縮んだ感じで嬉しかったですね。

Kちゃんは、以前もブログで書きましたが、私を緘黙症状から救いだしてくれた救世主。中学が一緒で、家庭の事情で高校進学はせずに田舎に残ったため、実質、親密に付き合えた期間は中学2年、3年の時の2年間しかなかったのですが、とてもウマが合ったんですよね。なかなか会えないけれど、会った途端、すぐに近くに感じられる存在、そんな人なんです。Kちゃんは筆無精で、手紙はなかなか寄こさず、メールに至っては使わない主義の人なので、今回は電話で連絡がありました。お悔やみの言葉があって、その後、世間話的なことを話して、久しぶりに誰かとおしゃべりしたなって思いました。

2人の友人に対して共通に感じたことは、「2人とも、しっかり”お母さん”になっちゃってるな」ってこと。まあ、私もそうなんだろうけど、子どもの話は絶対出てくるし。子ども中心に生活してるんだなっていうのが会話の端々から感じられ、「みんな、お母さんなんだな」って。友人2人は、田舎に住んでるので・・・私も田舎にいたら、ちょこちょこ会えたんだろうけどね。こういう時は寂しく感じますが、何かあればこうやって連絡をくれる友人がかろうじて(笑)2人いることに感謝し、これからまた元気に生活していけそうな気がしています。

友人からの連絡に、心のバッテリーが充電完了になりました!というお話でした。

そういえば、年末の掃除、ちゃんとやってない。。。。頑張ります


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なんていうか・・・ 

2011, 12. 05 (Mon) 09:23

こういう記事は、できたら書きたくないのですが。どういうわけか、そういうことばかり起きてしまいます。

私の母方の祖母が、今月、亡くなりました。大正生まれでしたので、90歳近い年齢です。詳しい年齢はわかりません。これといって持病があったわけでもなく、体調を崩していたわけでもなく、その日の朝、同居している叔父が、朝ご飯を食べに来ない祖母を不審に思い、寝室へ行ってみたところ、すでに冷たくなっていたそうです。老衰だと思われます。

本当であれば私も祖母の所へ駆けつけて、お葬式に参列しなければならないのですが、祖母は東京から遠く離れた田舎(岩手です)におり、うちの息子を預ける人がいない状況で帰省するわけにも行かず、気に掛けつつもこの場に留まっております。義母がいたら、息子を預けて帰省できていたかもしれないのですが。。。

私の両親は関東在住なのですが、訃報を聞いて慌てて車で帰省したらしく、帰省途中の高速道路のパーキングエリアから実姉の方へ電話で連絡してきて、私の所へは両親から頼まれたからと実姉から訃報の連絡が入りました。

田舎のお葬式って大変なんですよね。全て自宅で執り行うものですから、おもてなしなどの準備などが必要で、人手がいるんです。母方の叔父は3人いるのですが、3人揃って未婚なものですから女手が1人もいない状況。かろうじて母の妹、叔母が1人いるのですが、実は叔母のご主人は病気を患っていて、ここ1ヶ月ぐらいで急激に体調が悪化し、いつ容態が変わるかも知れないということで、お葬式だけ出席してとんぼ返りするとのことで。(叔母も関東在住です)

ということは実質、母ぐらいしか女手がいないという状況。私に電話してきた実姉も、「手伝いに行きたいけど、仕事を休めないしな~」と(この姉も関東在住)。もしかしたら、盛岡に住んでいる実姉が仕事を休んでお手伝いできるかもしれないのですが、その辺はどうなっているのか全くわからず。忙しいだろうからと、母に電話してみるのも気が退けており、じっとその後の連絡を待っているところです。

最後に祖母に会ったのは、うちの息子が年長さんの時に、岩手へ帰省した時ですね。4年ほど前でしょうか。お盆休みで帰省し、お墓参りへ行ったところ、たまたま叔父が祖母を連れてお墓参りへ来ていて、そこで会ったのが最後でした。私も滅多に帰省しないものですから、私を見ても誰だか解らなかったらしく、父が私が来てることを伝えると、「はあ~、そうかあ~、はて、誰だべ~?って思ってだった~」と、祖父が眠る墓石の横に腰掛けながら話していたのを憶えています。

声が大きくて、電話が掛かってくると、外にいても受話器から聞こえてくる祖母の声が聞き取れるほどでした。私が子ども頃は、お盆とお正月の時期に家族揃って祖母宅を訪問するのと、田植えと稲刈りの時期には、お手伝いに行くのが毎年恒例でした。今思えば、お互いの家は徒歩でも25分ぐらいの距離だったと思うのですが、母がずっと働いていたこともあってか、お盆・正月・田植え・稲刈り時期以外は、訪問することは無かったんですよね。なので、私の人見知りもあって、祖父母とはちょっと遠慮して付き合ってきたような感じでした。

13年ほど前、私の実兄の結婚式に出席した際、私と祖母は席が隣同士で、一緒に笑顔で写真を撮ったのが、今となっては良い思い出となりました。当時、その時の写真を母に見せたら、祖母は写真を撮られるのが好きじゃなかったらしく、「こんなに自然に良い顔で写ってるなんて珍しい!」とびっくりしていました。

祖母が亡くなってしまった今、私はその写真と、それまでの思い出を胸に、祖母の冥福を心より祈りたいと思います。


なんていうか・・・今年は、いろいろありますね。一生忘れられない年になることでしょう。
来年は、明るい記事が書ける年になりますように。


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