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2007/02
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近所の遊び仲間のこと
保育園入園を機に、場面緘黙症を発症してしまった私。それは、小学校へ入学しても変わることはありませんでした。学校へ行けば、授業中の必要な発言以外は言葉を発しない私でしたが、下校して学校から離れるにつれ、私は別の自分へと変わっていくのでした。

私には、子供の頃から2つの世界がありました。それは学校などの集団の場をメインとした「静」の世界。もう一つは、自宅をメインとした「動」の世界。「静」の世界では、自分の行動、発言、感情、そういったものを封印して過ごしていました。「動」の世界ではその逆。思ったことはしっかり言うし、好きなことを自由にやったり、笑ったり怒ったり泣いたり。
学校のクラスメイトとなんら変わりません。

家の近所には、私と2~3歳違いの年上、年下の子が合わせて10人ぐらいいて、学校から帰るとだいたい常に3~5人ぐらいは集まって遊んでいました。今思い出してもそれはとても楽しい時間でした。外が真っ暗になるまで遊んでいました。学校で行動できない分の反動もあったのかもしれません。でも、時々クラスメイトなどに道で会ったりすると瞬時に「静」の自分になるんですけどね。

私が小学5年生になった頃かな。私より年上の遊び仲間が中学生になり、部活動などが忙しいらしくて、ほとんど一緒に遊べなくなったんですね。気が付けば、遊び仲間の中では私が一番年上で、自然とリーダーとなって遊んでいました。学校での生活から考えたら、全く想像のつかないことですが。。。

子供の世界とはいえ、リーダーっていうのはすごいですね。みんな年下だということもあって、私が言ったことは、ほとんど絶対的な感じだったし、自分の一言で物事が決まっていくというのは、自分なりにすごく気分が良かったんでしょう。気が付いたら、私は天狗になっていて、わがまま放題になっていたようです。前に書いた記事の中でKおばさんから言われた一言で私は後から気が付き、自分自身の今までの立ち振る舞いを反省したりしたのでした。(その後、遊び仲間の1人から「優しくなったね」と言われたりました

学校で学ぶことが出来なかった子供同士の人間関係を、「動」の世界でこうやって学ぶことが出来たのは、私にとっては大きなプラスになっただろうと思っています。近所に同年代の遊び仲間がいたことにとても感謝しています。(とはいえ、遊び仲間の半分は親戚の子でしたが)そんな遊び仲間とも、私が中学に入学したことであまり遊べなくなり、会うこともほとんど無くなりました。

中学校生活では、1つ年上の遊び仲間のY子と偶然、部活動前の女子更衣室で会い、Y子の友達が、「るいちゃんって、いつも大人しいよね」と話しかけてきた時、「そんなことないよ~。結構うるさいんだよ~」なんて言ってくれたりして、嬉しかったり恥ずかしかったりしました。後からちらっと聞いたことがあるのですが、Y子は、私の話がどこかで出るたびに、「大人しく見えるけど、ほんとは違うんだよ!」なんていつもフォローしてくれていたようです。「動」の時の私が、本当の私だってわかっていてくれたんでしょうね。

年下の遊び仲間のうち、特に仲の良かった2つ下のN美とは、私が中学生になっても漫画本の貸し借りは時々やっていて、お互い、家のポストに手紙を入れに行ったりという、いつの間にか文通がメインの関係になっていました。

私が社会人になり、上京した後も手紙のやり取りが数回ありましたが、N美が高校を卒業し、就職したっていう手紙をもらったのが最後かな?いつの間にか文通も途絶えていました。文通が途絶えたことに気付かないぐらい、私は社会人生活で苦悩していたようです。当時の遊び仲間との接点は、現在は全くありません。年賀状もやりとりしてないし。。あんなに仲が良かったのに、生活環境が変われば自然と離れるものなんですね。

風の便りに、結婚したと聞いた遊び仲間は、5人。残りの遊び仲間は不明です。私のこと、憶えてくれている人はいるのかな?なんて、久しぶりに思い出しながら書きました。


(2008年1月 微妙に追記・修正を加えました)



テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

謎の腹痛
去年の11月頃、中学時代のお話を書いていたと思うのですが、ここのところ、小学校時代の話を立て続けに思い出してしまい、またまた小学校時代のお話になりますが、お許し下さいね。

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あまりにも日常的なことになっていたので忘れていましたが、私が小学低学年だった頃、謎の腹痛がよくありました。それは決まって朝、学校へ行く準備をしていると起こり、学校を休んでテレビを見ていると、午前中のうちに治るという、世にも不思議な(?)腹痛でした。

タイトルを「謎の腹痛」としましたが、今思えばあの腹痛って、心理的な要因から起こる腹痛だったのかな?と思います。痛くなる場所は、だいたい胃の下辺りか、へその辺りだったと記憶しています。もしかしたら、胃そのものが痛かったのかもしれません。なんせ小学低学年でしたので、胃の存在を知っていたのかどうかは不明です。

私が小学校へ入学したのを機に母が自宅から徒歩10分ほどの所にあるスーパーで働くようになっていたのですが、私が腹痛で学校を休んだ日には、決まって午前10時頃に仕事場を抜け出して家に帰って来て、スーパーで買ったプリンやらヨーグルトやら菓子パンやら・・・そういった食べ物を私に差入れして、すぐにまた仕事場へ戻っていくのでした。

そして私は、差入れされた物を食べながらテレビを見ているのですが、いつの間にか腹痛が治り、お昼頃には元気になっているというパターン。なので、母には「プリンを食べると治るお腹なんだよね~」なんて言われていました。

そんな腹痛が小学3年生頃までだいたい年間5~7回ぐらいあったのかな。母は私の腹痛の原因を知ってか知らずか、「またプリンで治るんじゃないの?」なんて言いながらも、快く学校を休ませてくれたのでした。差入れに来る母の姿がいつも待ち遠しくて、母が来るとすごく嬉しかったのを憶えています。

小学校へ入学して、母が働きだして、母といる時間が減ってしまい、私なりに寂しかったのかな?とも思います。私には姉や兄もいましたが、学校から一番に帰宅するのは決まって一番年下の私でしたから、家の外の、ある場所に隠してあるカギを出してきて、誰もいない家の中に1人で入る、そういう生活をずっと送っていました。

母はそのスーパーで、私が高校を卒業する時まで働いていましたので、私は約12年間、そういうカギっ子生活を送っていたことになりますね。でも、いつも家の中で1人で過ごしていたわけではなくて、家の近所には、遊び仲間がいましたから、帰宅後、遊びに出掛けたりなんてこともよくありました。

次回は、近所の遊び仲間と私の関係のことでも書いてみたいと思います。




テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

K先生の思い出(4)
今までも何度か小学4年生の時に担任だったK先生のことをブログに書かせてもらいましたが、ここに来てまたK先生絡みの出来事を幾つか思い出しましたので、書かせてもらいますね。

K先生とは、私が小学4年生の時の担任の先生です。女の先生で、教師になって初めての職場が私の通っていた小学校で、クラスを受け持つのももちろん初めてだったらしいです。(そんな様子は微塵も感じられなかったのですが。。。)では、はじまり、はじまり。。。

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小学4年生のある日のことです。テストの時間の時、私がプリントを見直していると、隣の席の男の子が私の答案用紙をカンニングしていた時があったんですね。その時、私が慌てて答案用紙を隠すと、男の子は、「なにやってんの?オレは見てないよ。」なんて言ってきたのですが、私は答案用紙を隠す前に男の子の視線をしっかりと確認していたので、カンニングされたのは明らかだったのでした。

それから数日後のある日。またテストの時間がありました。私は前回、カンニングをされた経験から、答案用紙をある程度記入しては筆箱で隠したりしながらテストを続けていたのですが、そんな私の様子に気付いたK先生がテスト中に私の所へやってきて、

「なにやってんの?あんたの答えなんか誰も見ないよ!!

と言い、それだけ言うとスタスタと通り過ぎていったのでした。私としては、カンニングをされた経験があっての行動でしたから、先生にいわれたからと言って、筆箱をどかしたりしませんでしたが、とても嫌な気持ちになったのを憶えています。

--*--*--*--*--

お話は変わって。小学4年生のクリスマス会の時のことです。

クリスマス会の出し物として、うちのクラスでは楽器を演奏しながら歌を歌うことになり、コーラスの人、楽器の担当の人などを決めていました。私は、リコーダーがいいな~なんて内心思っていたのですが、指揮者を決める時になって、急にK先生が私の方を向いて、

「指揮者は、るいでいいよ。はい、決定。」

と、勝手に決めてしまったのでした。私の意向も何も聞かずに勝手に決められてしまったのですが、K先生の言うことは絶対だったので、なんの反抗もせず、そのまま私は指揮者の担当になってしまったのでした。クラスのみんなは、歌の練習や楽器の練習をしている中、私は何もすることもなく、一緒に練習した記憶はほとんどありません。K先生には、「適当に腕を振ってればいいから」と言われていたので。。。

クリスマス会本番では、私は指揮棒すら持たされず、クラスのみんなの前に立って、手をグーにしたまま腕を振ったのでした。練習に参加させてもらえてないので、私の指揮に従うクラスメイトなんていません。私は、ただ指揮者という形だけでそこにいただけなのでした。

全校生徒の中には、6年生に従姉がいたのですが、後から、「適当に指揮してたね」と言われました。そりゃそうだ。練習に参加させてもらえない上に、適当に腕を振ってればいいっていう先生の指示だったんだから。

今思えばこれって・・・先生によるイジメっぽいのかも。みんなと同じことをさせないようにするための罠??でも私はやらなければならないことだったので、淡々とこなしたのでした。

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ここまで書いてみて思ったのは、現緘黙児の中にも子供の頃の私のように、先生に嫌われたりしている子がいるのかな?っていうこと。緘黙児に対する指導、コミュニケーション方法などが教育関係者に浸透さえすれば、先生方の対応も徹底されるだろうし、当時の私のような経験をする子も無くなるのでは?と思います。

一番良いのは、K先生みたいな先生が存在しないことなんですが。。。現在、40代後半だと思われるK先生、今どこで何をしているんでしょう。。




テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

「自分」が「出る」のは恥ずかしい
今回は、前回の記事に頂いたニミリさんからのコメントで思い出した、私自身の体験談(っていうか、思い出?)を書いてみたいと思います。

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私が小学4年生だった頃の出来事です。冬休みの宿題で、なんでも良いので1人1作品、何かを作って提出すること、という宿題があったんですね。

夏休み、冬休みともなると恒例の宿題なので、今回は何を作ろうかなあ・・・と考えていたのですが、たまたま家に空き箱があったので、小さな家を作ることにしました。

小さな家といっても、建築家の方が作るような間仕切りのあるリアルなサンプル模型のようなものではなくて、空き箱の形をそのまま利用して、折り紙や段ボールを使って屋根を付けたり、窓やドアを付けたり・・・といった、おままごとみたいな家なんですけどね。

箱の外観はもちろんこだわって作ったのですが、実は、箱の横にある箱の蓋の部分をパカッと開けると、家の中も見られるようにしたんです。しっかり内装も作ったんですよね。テーブルはもちろん、小さな家具も設置して、壁紙も床もしっかり作ったのでした。


そして、冬休み明け。

授業の時間を使って、それぞれが自分の作った作品を黒板の前に出て1人ずつ発表するというのがあったんです。みんなそれぞれ、登壇しては自分の作品のポイントとか、苦労して作ったところとか、簡単に話していました。

そして、いよいよ私の番。私は自分の作品を持って登壇して、「私は、小さな家を作りました。」とかなんとか言ったような気がします。(しっかりは覚えてません)でも、その後は特に説明もせず、せっかく作った内装もみんなに見せるのが恥ずかしくてイヤだったので公表もせず、担任のK先生からは、「それだけ?」っていう感じで鼻で笑われ、すぐに降壇させられたのでした。(以前にも何度か書きましたが、私はK先生に大変嫌われていました。)

それから数日後。みんなの作った作品はしばらくの間、教室内にあるロッカーの上に飾られていたのですが、そんなある日のこと。

「先生~!!中も作ってあるよ!!」

誰かが叫んだ声が聞こえたので、何事かと私も振り返ってみたのですが、ビックリしました。誰かが私の作った作品を触ってみたらしいんですね。そして、横の蓋を開けてみたらしっかりと家の内装も作ってあったのでこれは発見!!とばかりに、先生に教えに行ったらしいのでした。先生は「え??」という感じで私の作品を見に来たのですが、特に何を言うでもなく、鼻でフンと言うと、「あっそ。」という感じでまた教壇に戻っていったのでした。

私としては、密かに作っていた作品の内装を見られてしまったという恥ずかしさと、「なんで勝手に作品に触るの?」という怒りとで、内心、乱れていたのでした。(飾ってある作品は触らないようにと先生に言われていました)

絵とか自由作品とか、そういった作品にはどうしても自分の好みや内面に思っていることなど、「自分」というものが出やすいと思うんですね。だから、作品を見られると言うことは、自分自身を見られているようでとても恥ずかしくなったりします。今でもそんな傾向がありますね。

今は絵を描いたり作品を作ったりということはほとんどありませんが、服装とか持ち物の好みだとか、そういった物も個人の趣味が影響しますので、すごく気になったり恥ずかしくなったりすることもありますね。

でも、見られることを恥ずかしがって、全てがそうかと思えば突如として頑固さが顔を出してきて、誰に何と言われようとがんとして意見を曲げようとしない時もあったりします。

これもまた小学4年生の時なんですが、版画で絵を作ったんですね。それは、先生の朗読で聞いたお話に対するイメージの絵を作ったのですが、私は紙全体を使って大きなネズミの絵を1匹描いたんです。しかも、そのネズミは動物としてのネズミではなくて、平面の板のようなもので出来たネズミの絵を描いたんです。(意味、通じてますか?)

その絵を見たK先生が、私に対して「そのネズミは変だ」と言い出しました。けれど、私は首を横に振って「変じゃない」と主張し続けました。でも、考えてみて下さい。イメージを絵にして描いているんだから、他人が口を挟むような所じゃ無いと思うんですよね。イメージしたことに対して正解、不正解はないのだから。私にとって、その絵はそうでなければならなくて、それだけは譲れなかったのでした。

先生は、最後には「変なの!」と捨て台詞を吐いて立ち去ったのでした。思い出せば思い出すほどつくづく思います。K先生、大嫌いでした!!(こんなところで、うさ晴らし(笑))

個人的なところで言えば・・・口ではいろいろ主張できませんが、絵や作品、作文などでは自由に自分を出せるので、絵を描くこと、作文を書くこと、習字、工作、そういった物は大好きだったし、どちらかといえば得意でしたね。緘黙児だったから、こういったことが得意だったのかどうかは、因果関係は不明です。




テーマ : 緘黙症
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るい

Author:るい
場面緘黙・複数の恐怖症・吃音などの経験を持つ主婦。タイトル下の文にある「中間族」とは、自己診断で場面緘黙・恐怖症と知りつつも治療を受けるほどではなく、かといって世の中を上手く渡れない、そんな中間の立場で生活している自分を例えた言葉。知らない場所・空間の中にいるのが苦手。人や環境に慣れるまでに時間が掛かり、その間は会話がなかなか成立しない為、第一印象で「大人しい・根暗・変な人」と思われがち。基本的に面白いこと大好きな明るい性格。慣れればよく喋りますが、文字の方が自分を出せてる気がします。喋るより書く方が好き。

★息子(ゴン)の紹介・・・今春から高1の15歳。運動苦手・勉強苦手・生真面目・大人しいという性格上、未就学児の頃から小学卒業まで嫌がらせなどのトラブル多数。小5、小6の2年間、学級・学年崩壊を経験。嫌がらせ・いじめ・暴力による怪我やトラブルが日常的に。クラスが落ち着き始めた頃、元友達からのストーカー行為により、ストレス性胃炎での遅刻、欠席が頻繁に。区域外の中学で心機一転、すぐに友達も出来、順調に思えた中1の5月、左足不随をきっかけに不登校に(後に心身症と判明)。同7月、WISC-IVでLDと判明。発達性協調運動障害の傾向も。約1年間の通院・カウンセリングを経て徐々に登校日数が増え、中3は欠席ゼロで中学を卒業。推薦入試で第一志望の高校合格をゲット。現在は元気に通学中。

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