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2006/09
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ソフトボール部
私が進学した中学校では、必ず部活動に参入部する決まりがありました。小学6年の頃、漠然と「吹奏楽部へ入部しよう」と決めていた私。ですが、同じクラスの女の子に、「ねえ、るいさん、中学生になったら、一緒にソフトボール部へ入部しようよ!!」と何度か誘われました。

その子は特に友達だったわけでもなくて、帰り道が途中まで一緒、というだけの女の子でした。だけど、私はそんな風に誰かに誘われた経験が無かったので誘われて嬉しかったのと、特に吹奏楽部にこだわっていたわけではなかったということもあり、首を縦に振って、承諾してしまったのでした。

そして中学に進学。私をソフトボール部へ誘ってくれた女の子は、私とは別のクラスでしたが、その子は当然ソフトボール部へ入部するんだろうと私は思っていました。入部希望届けを出していざ集まってみると、その子はソフトボール部にはおらず、なんと吹奏楽部へ入部していたのでした。(自分から誘っておいて!嘘つきだ!)とその時はさすがに思いました。騙された~っていう気持ちもありました。でも結局、ソフトボール部へ入部届けを出したのは自分の意志だったし、それをわざわざ取り消そうとは思いませんでした。そんな感じで、私はソフトボール部員となったのでした。

父は、兄や姉がそれぞれバスケットボール部とバレーボール部だったことから、てっきり私もそのどちらかを選ぶものだと思っていたらしく、「なんでソフトボール何かにしたんだ!」と言われたりもしました。実は私がソフトボール部を選んだのには、ソフトボールと野球は似てるから、ソフトボールの知識が増えれば父と共通の会話が増えるかも!なんていうもくろみも多少あったりしたのですが、よくよく考えてみたら父は野球より相撲が好きだし、逆にソフトボール部に入部したことで責められたりもしたので、意味が無かったんですよね。

そんな理由でソフトボール部へ入部した私でしたが、結果的に同期のソフトボール部員も先輩部員も優しい人達ばかりだったので、ソフトボール部で良かったのかもしれません。部員との関わりは後日UPします。今日はここまで!



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テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

優しさを感じた時
私が中学1年生だった時の話です。

授業中、急に体調が悪くなり、なんだか吐き気を感じたりしてずっとうつむいた状態で授業を受けていた時がありました。体調が悪くても自分からは言えないというのが、緘黙児の一番の辛いところですよね・・・。

その時の授業は、担任の女の先生だったのですが、私の体調が悪いだなんて全く気付く様子もなく、淡々と授業は進行していきます。私はその時、一番後ろの席だったのですが、私のいる列の誰かが授業中にノートに落書きしていたとかで、先生が、「後ろの席の人、みんなのノートを回収して来て!」と言い出しました。私は体調が悪かったので(動けないよ)という意味で、「え?」という
表情で顔を上げたのですが、先生は私がノートを回収するのをためらっているだけだと思ったらしくて、「いいの、いいの、回収してきて!」と言うので、私は気力を振り絞り、ふらふらしながら立ち上がって、列の人のノートを回収して先生の机へ持っていったのですが、私が近くまで行っても先生は私の様子に気付くことなく、そのまま授業は終了したのでした。

私はもう、気持ち悪いし、体はだるいし、授業終了と共に机に突っ伏したのでした。クラスに友達がいないっていうのは、こういう時とても辛いですよね。机に突っ伏してから5分ぐらい経ったでしょうか。私のすぐ近くで、 「大丈夫?」 という男の子の声がしました。ぼ~っとしながら顔を上げてみると、同じクラスの男の子が1人、少し遠巻きでしたが、私に声を掛けてくれました。私は、とっさに「大丈夫」の意味で、首を縦に振ったところ、男の子は、何も言わずその場から立ち去ったのでした。

その後、どういう成り行きだったのかは忘れたのですが、私は保健室へ行き、保健室で1時間ぐらい休んだのかな。保健室の先生が私の容態を書いた紙を私に持たせ、「これ、担任の先生に渡してね」と言われたので、体調が快復して教室へ戻った時に、担任の先生に紙を渡したのははっきり覚えています。担任の先生は受け取った紙を見ていましたが、特に何も言わなかったですね。私も紙を渡すとそそくさと席に戻ったのでした。体調不良に気付いてくれなかった先生への軽い怒り/span>と共に。でも、いつも無表情の子が体調を崩したかどうかなんて、先生が気付くには至難の業だとは思います。一人一人のことをずっと観察しているわけじゃないし・・・

そんな中、私に声を掛けてくれた男の子には、本当に感謝しています。声を掛けてもらえたから、勇気を出して保健室へ行くことが出来たように思います。今思えば、あの男の子は私と違う小学校から来た子で、私に対する偏見がなかったから声を掛けてくれたんだろうなって思います。同じ小学校から来た子は、私はいつもあんな感じだと思っているから、誰も気にする様子はなかったので・・・。

緘黙児は辛い時も多々あるけれど、逆に人の優しさを感じる時も多々あるように思います。無言の私に話しかけてくれる子って、みんな根が優しい子だったもの。ほんの少しでも優しさを感じることが出来たから、私は登校拒否にはならずにすんだのかもしれません。でも今思うと、せっかく心配して声を掛けてきてくれた子がいたのに、素直に首を横に振って「大丈夫じゃない」ってアピールできなかったのは残念だったなって思います。

バリバリの緘黙児だったこの頃の自分は、友達がいない、周りからも孤立してるっていう自覚もしっかりあるだけに、周りに頼れない、1人で何とかしなきゃって決めているようなところがあって、周りに頼ることにすごく抵抗があったし、自分から避けているところがあるのに周りから避けられてると思っていて、近づいてきた人をとりあえず拒絶してしまう傾向が強かったな、と思います。当時の私に言ってやりたい。もっと気楽にしていいんだよ。もっと人を信用していいんだよ、もっと周りに頼ってもいいんだよって。なぜだかわからないけれど、当時は学校にいる人達全員を警戒して怯えていたような感じでした。だから小さな優しさになかなか応えられなかったんだね。大人になった今だからわかることってたくさんありますね。




テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

集会所での出来事
私が中学1年生の時のお話です。

各地域ごとに子供会があるのですが、ある日、地域の中学生と保護者の集まる子供会の集会に参加しました。集会には親子で参加することになっていたので、母と二つ年上の兄と一緒に集会所へ出掛けました。私にとっては中学生になって初めての集会です。どんな感じなんだろうとか思いながら参加したような記憶があります。

それで、集会所には結構たくさんの人が集まっていたのですが、集会が始まるまでにまだ少し時間があって、周りにいた人達がいろいろと世間話をしているのを私は横でじっと聞いていたのですが、ある人が、「あれ?あれはなんていうんだっけ?」と言い始めました。どんな内容の話だったのかは憶えていないのですが、その時私はその人が思い出そうとしている言葉がわかったんですよね。だから、その場で「●●ですよ」と教えてあげたのでした。その後はどうなったのか記憶が抜けていてわからないのですが、集会が終わって帰宅後、母親からこんなことを聞かされました。

「**さん(私の近くに座っていた人)が、るいが話したのを見て、すごいビックリしてたよ。ずっとしゃべれない病気だと思ってたらしいよ。」

どうやら近所の人達の間では、私が声を全く出せない病気なんだろうということになっていたらしく、私がすんなり話しているのを見て、すごく驚いたらしい。そういえば私が話した時、やけに目を丸くしてこっちを見てた人がいたなと思ったんですよね。驚かれていたんですね。

私自身は気付いてなかったけれど、私は「しゃべれない人」として地域ではかなりの有名人だったことを後から知りました。田舎は特にご近所に過干渉なところがあるので、私に関する想像が勝手に一人歩きしていたようです。当時は、緘黙症なんて言葉も症状も知らなかったし、周りの人も私の状態を理解することは難しかったんでしょうね。私の親が緘黙症のことをしっているかどうかは未確認ですけど・・・今度、勇気が湧いたら親に緘黙症のことを知っているか聞いてみたいなとは思っています。その勇気が未だになかなか無いのですが(笑)

その当時は気付かなかったけれど、母はこの時、私が人前で一言でもちゃんとしゃべれたことがとっても嬉しかったんだろうなって思います。私自身が親となった今、そのことがよくわかります。当時、学校でしゃべらない私を1度も責めたりしなかった母に、今はとても感謝しています。




テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

声が小さいと言われること
私が学生の頃、よく言われた言葉に「声が小さい」というのがあります。私は小さな頃から同級生より飛び抜けて背が高かったのですが、「体の割りに声が小さい」とよく言われていました。大人になった今でも思うのですが、体の大きさと声の大きさは比例しないものだと思うのですが。私の場合、場面緘黙症だったこともあり、学校で声を発することに抵抗があったため、基本的に学校での発声は小声だったように思います。

中学生になると、運動会や中総体などがあるたびに、応援団による応援歌練習というものがありました。これがまた曲者。広い校庭に並ばせられて、大声でみんなで応援歌の練習をするわけですが、歌っている人の合間を応援団員が練り歩き、きちんと声を出して歌っているのか、チェックして回るのです。

こういう場ではやはり大声で歌える人が有利ですよね。応援団員に認められた人から順に肩を叩かれ、肩を叩かれた人は、練習から開放されていきました。私も自分なりに声を張り上げて歌っているのですが、それでも肩を叩かれることは無く、大抵、最後まで練習に残されるか、声を出していない罰として、全校生徒の前に並ばされて歌わせられるとか、そんなことばかりでした。

中学の運動会では、各学年から1クラスずつの構成で1つの組を作り、組対抗で運動会が行われたのですが、運動会の種目の中に「応援合戦」というものがあり、各組で行われる応援練習というのもありました。これは学校全体の応援歌練習と違って、もっと少ない人数で練習するわけで、しかも組の応援がかかっているということで、先輩方の指導も相当厳しいものでした。

どんな風なのかというと、一人一人に対してのチェックに時間をかけるわけです。チェックする側も応援団員ではなく、3年生の女子とか。先輩後輩の上下関係の厳しい中学の環境に於いては、それはとても恐ろしいことでした。だって、近づくのも怖いような先輩がすぐ近くに来るわけですから。ただでさえ声が小さい私は、さらに萎縮して声が出にくくなるわけです。

今でも記憶に残っている応援練習があります。私が中学1年の時の組の練習は最悪でした。私が中学1年生の時には、3年に兄がいたのですが、私が妹だということで他の1年生より目立った存在だったようで、興味本位で私に近づいてきては必要以上に厳しい指導をするのでした。私としては自分なりに大声を張り上げているのですが、今まで同様、声が全然出ていないとの評価。しかも先輩より私の方が背が高かったものですから、注意してくる先輩の顔を見ようとすると、どうしても上から見下ろす感じになってしまうんですよね。すると先輩から、

「なに威張ってんの!?」

「その目つきはなんだよ!?」

「きどってんじゃないよ!!」


今でもはっきりと顔を覚えているのですが、私の肩ぐらいまでしか背がないけれど異様に気の強い女子の先輩から罵声というか言いがかりというか・・・そんなことを練習の度に言われ続けるわけです。中1だった私は、あまりの恐怖に耐えきれず泣き出す時もありました。泣き出すと今度は、「風邪をひいてて、声が出なかったんだよね?」なんて言って助けてくれる先輩もいたりしましたが、緘黙で声を出しにくい上に、”同級生の妹”という興味本位からの攻撃、なんで私に兄がいるんだろうってこの時ばかりは思いました。

そんな感じで、応援歌練習といえば上記のような嫌な記憶ばっかりでした。自分的にはすごく声が出ていると思うんですよね。なんなら、歌っている時は自分の声しか聞こえないぐらいなのに。けれど結果はいつも「声が出ていない、声が小さい」という評価ばかり。一体、なんなんでしょうね。なので「なんで声が出ないんだろう。なんで声が小さいんだろう」と自分を恨んだりもしました。

でも、大人になってから冷静に考えて思ったことが1つ。それは、私はほとんど学校で発言していなかったので、周りの人が私の声がどんな声なのかよく知らないんじゃないかってこと。なので、大声チェックをしていた応援団員は、聞こえていた声がまさか私の声だって思えなかったのでは?と思っています。もしそうだとしたら、私はかなり損していたことになるのですが。一生懸命歌っていたのにね。まあ、今までの人生を振り返っても、普通の人にはありえないところで損するのは日常的になってはいるのだけれど。

以前このブログでも書いたのですが、小学生の時、音楽のテストで1人ずつみんなの前で歌わされたことがあって。その時は自分の声がいつも小さいという認識から、1回で合格したいという気持ちもあって意識して大声で歌ったんですね。その時は先生に「やれば出来るじゃない。」と言われたので、大きい声が出せていたことは確実。なので、中学の応援歌練習でも絶対、大声で歌えていたはずなんですよね。今思い出してもムカついてきます。

大人になってもこんなことを未だに根に持っている私は、声だけじゃなく、心も小さい(狭い)のかもしれませんが(笑)




テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

『忘れないよ!ヴェトナム』
前に読んだ本で、こちらにUPしようと思ってずっと忘れていました。今思い出したので、忘れないうちにご紹介しますね。

忘れないよ!ヴェトナム (幻冬舎文庫)
忘れないよ!ヴェトナム (幻冬舎文庫)田口 ランディ

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この本は、田口ランディさんの処女作になります。

内容としては、田口さんが1ヶ月もの間、ヴェトナムに滞在し、自分の足でヴェトナム中を駆け回った旅行記、ということになります。田口さんはヴェトナム旅行中に実にたくさんの人々と巡り会います。それは日本人だったり、イギリス人だったり、タイ人だったり、人種もさまざま。そういう人との出会いの記録もまた、この本の魅力の1つだと思います。

さて、ここまで読んで、「なんだ、緘黙症と関係ない本じゃないか」とお思いの方もいるかと思いますが、ちょっとだけ緘黙症の話も出て来るんです。

田口さんが旅行中に出会った人達の中に、滝沢さんという小学校の先生が出てくるのですが、この先生が受け持っているクラスの中に場面緘黙(本書の中では、”場面寡黙”との表記になっていますが)の子供がいるとのことで、ページにして、3~4ページほどですが、緘黙に関しての田口さんと先生とのやり取りが書かれています。

その中の先生の発言は、教師としての本音の部分だろうなと思われるので、この場を借りて抜粋して紹介したいと思います。

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「どうしてやったらいいもんかなあ、ってずうっと悩んでたんだ。小学校の教師って、そういう情緒障害児の教育について特別な指導なんて受けてないし、実際、よくわからないんだ。どうやって接したらいいのか。何をしてやったらいいのか。うちの学校は1年ごとに担任が替わっていくから、何もしてやれないまま、もう次の先生に引き渡すことになる。今、5年生なんだけど、そうやって、あいつは、みんなから遅れたまま、中学まで行ってしまうのかもしれない」

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実はこの会話の後、滝沢さん自身が、ヴェトナム旅行中の自分の様子を「場面寡黙だった」と認める発言があったりしますが、それは、この本をまだ読んだことのない方のために、秘密にしておきますね。


一応、緘黙のことを取り上げている書物ということで、こちらで紹介させていただきました。ヴェトナムのことが田口さんの視点で書かれていて、普通に読んでいて楽しい本です。



テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

”将来”を考えた時のこと
たぶん12~13歳の頃だったと思います。

成長するにつれ、自分の将来のことを気にするようになりました。学校を卒業したら自分は何をやるのか?何をやりたいのか?いろいろ考えてもこれといって思いつかないし、けど目標は欲しいなあ・・・という時期がありました。

そんなある日、母親に「私は何になったらいいと思う?」と聞いてみたんですね。たぶん母はその時、とても忙しかったのでしょう。「え?(当時飼っていた)犬にでも聞いてみれば?」と言われたのでした。まじめな気持ちで質問しただけに、とてもがっかりしたのでした。

それから約半年後、仕事でずっと家を空けていた父が久しぶりに帰ってきていた時、父から「るいは将来、何になるつもりだ?」と聞かれた時がありました。私は以前、母に将来の質問した時以降、将来のことに関してまじめに考えることから少し逃げていた時期だったこともあり、その場しのぎに、「そうだね~、総理大臣にでもなろうかな♪」とふざけて答えたのでした。途端に父の顔が曇り、こう言いました。

「オレが子供の頃、親父に『将来何になったらいい?』と聞いた時に、親父が適当に『総理大臣にでもなれ』って言ってなあ。」

私はその時、知ったのでした。父はとてもまじめな気持ちで私に質問をしてくれていたことを。それから父親自身、子供の頃に私と同じように親に将来の質問をしてはぐらかされた経験があること。そして、”総理大臣”という言葉。それは父にとって、子供の頃の嫌な経験を思い出す、まさに”キーワード”だったのでした。

私は母親から受けた悶々とした気持ちを、偶然同じ質問をしてきた父親にぶつけてしまっただけなんですよね。今思うと、自分が本当に子供だったなあ・・・と感じ、反省しています。こういう経験があるので、私は自分の子供にはどんな質問にでもまじめに答えるように努めています。自分の子供に同じ思いをさせないように。親子3代で嫌な思いはしないように、ね。




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るい

Author:るい
場面緘黙・複数の恐怖症・吃音などの経験を持つ主婦。タイトル下の文にある「中間族」とは、自己診断で場面緘黙・恐怖症と知りつつも治療を受けるほどではなく、かといって世の中を上手く渡れない、そんな中間の立場で生活している自分を例えた言葉。知らない場所・空間の中にいるのが苦手。人や環境に慣れるまでに時間が掛かり、その間は会話がなかなか成立しない為、第一印象で「大人しい・根暗・変な人」と思われがち。基本的に面白いこと大好きな明るい性格。慣れればよく喋りますが、文字の方が自分を出せてる気がします。喋るより書く方が好き。

★息子(ゴン)の紹介・・・今春から高1の15歳。運動苦手・勉強苦手・生真面目・大人しいという性格上、未就学児の頃から小学卒業まで嫌がらせなどのトラブル多数。小5、小6の2年間、学級・学年崩壊を経験。嫌がらせ・いじめ・暴力による怪我やトラブルが日常的に。クラスが落ち着き始めた頃、元友達からのストーカー行為により、ストレス性胃炎での遅刻、欠席が頻繁に。区域外の中学で心機一転、すぐに友達も出来、順調に思えた中1の5月、左足不随をきっかけに不登校に(後に心身症と判明)。同7月、WISC-IVでLDと判明。発達性協調運動障害の傾向も。約1年間の通院・カウンセリングを経て徐々に登校日数が増え、中3は欠席ゼロで中学を卒業。推薦入試で第一志望の高校合格をゲット。現在は元気に登校中。

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