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2006/07
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恐怖の学級会
中学一年生の時のお話です。

ある日、クラスである議題について話し合いが行われました。それが何についての議題だったのかよく覚えていないのだけど、とにかく、クラスのみんながなぜかヒートアップして、すごく感情的になりながら話し合いが行われていたのは覚えています。

後半、どういう経緯だったのかは忘れたのですが、みんな一人一人、そのことについて自分の意見を発言をしなくてはいけないような雰囲気になったんですね。

みんな一通り意見を述べて、発言せずに残っているのは私だけという状況になりました。みんなの視線が自分に向けられたので、とりあえずその場で席から立ち上がったのですが、案の定、私は発言することが出来ませんでした。私に自分の意見があるとかないとかいう以前に、こんな風に発言することを強要させられたのは初めてだったということもあり、立ち上がったものの、頭の中は何にも考えられないぐらい真っ白になっていました。

教室の中に沈黙が続き、何がなんだかわからない状態にまで追いつめられた私は、話さなくちゃいけないというプレッシャーでいつの間にか泣き出していました。私の後ろの席にいた女子生徒が1人、泣きじゃくりながら私に言いました。

「るいさん、何か発言してよ!何で発言してくれないの??」

私の心の中では(なんで私が発言しなくちゃいけないの?)という気持ちがとても強かったように思います。小学生の時は、こんな風に発言を強要されなかったのに、なんで?って。 結局、私が発言しないまま授業終了のチャイムが鳴り、学級会はお開きとなったのでした。チャイムが鳴った瞬間、感情的になっていたみんなは急にいつもの様子に戻ったのでした。私も、プレッシャーから逃れることが出来、泣いている時にハンカチを貸してくれた子にその場でハンカチを返したりしたのを覚えています。今思えば、洗ってから返せば良かったのにね。そんな気すら回らなかったです。

あの時の議題は・・・もしかしたら、いつまでたってもクラスに馴染まない私のことだったような気もするのですが。うーん、思い出せません。記憶にあるのは、必要以上に感じた激しいプレッシャーだけですね。ちなみに、この学級会で ”意見を言うまで追いつめられる恐怖”を味わった私は、後日行われた別の議題の学級会では、そそくさと手を挙げて自分の意見を発言したのでした。どうせ言わなきゃいけないんだったら、追い詰められる前に言っちゃえ!という私なりの考えで。でもどうやらこの時の学級会では、全員が意見する必要はなかったみたいで、なんだか肩透かしみたいな感じになってしまいました。でも、滅多に手を上げて発言しない私が自ら手を上げて意見を述べたというのは担任の先生にとってインパクト大だったらしく、通知表に、「意見のある時はしっかりと発言が出来る子です」と書かれた記憶があります。まあ、結果オーライと言ったところでしょうか(笑)

いずれにしても、私にとっては恐怖の学級会だったのでした。




テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

遠足の写真
小学校時代のお話を思い出したので、やっと中学校時代のお話に
突入したところですが、少しだけ小学校時代に戻ります。

・・・*・・・*・・・*・・・

小学校時代には、遠足が何度かあったのだけど、楽しかったのか、楽しくなかったのか・・・
私にはほとんど記憶がないんですよね。学校での行事は、ほとんどが無意識のうちに
感情を無にして参加していたと思うので、自分の記憶にあまり残らないのかもしれません。

唯一、覚えている遠足の記憶は、小学4年生ぐらいの時の遠足。
みんなで学校から徒歩で行ける距離にある地元の小さな山に登ったんですが、
その目的地に着いた時のこと。

各自、レジャーシートを広げて陣取ったりしていて、私も班の人達の近くに
つかず離れずの距離にシートを広げていました。
みんながレジャーシートを広げているところへ、先生が写真を撮りに来たんですね。

みんなが先生の所に一斉に「わあ~!!」と集まってきて、先生はシートの上に
仰向けに倒れ込んでしまい、その体制のままカメラを構えていました。
みんなは先生を上からのぞき込み、円陣を組むような感じで先生のカメラを見ています。

遠足だったから、かな。いつもと違う雰囲気だったからだと思うのだけど、
私もついつい周りのみんなにつられて先生のところまで行ってしまったんですよね。
けど、みんなのように円陣を組んだ体制に自分から加わることはできず、
みんなが円陣を組んだその上の空間から無理矢理中にあるカメラを覗き込むという
姿勢でカメラのシャッターチャンスに臨んだのでした。
写真に写るかどうかわからないけれど、一応カメラに向かって笑顔を向けてみたのでした。

けど、先生はなかなかカメラのシャッターを押さず。
たぶん、先生は私の大っ嫌いだった(あ、言ってしまった)K先生だったんですよね。
私に対してだけ態度のきつかったK先生。(ブログでも何度か書いてます)
たぶん、私がカメラに写らないように苦戦していたのかな。
けど、生徒の誰かが「先生、早く撮ってえ~!!」と言ったので、
そこで先生はやっとシャッターを押したのでした。


遠足が終わって数日後。
先生の撮った写真が出来上がってきて、壁に貼られました。
そういえば、あの時の写真はどうなったのかな、と思っていたら、先生がみんなを
下から見上げるような感じで撮った写真の中に、私の顔もきちんと写っていました。

きちんと写ってはいたけれど、みんなが円陣を組んで集まったために出来た真ん中の
丸い空間に、私の顔だけがみんなより後ろで一回り小さめに、しかも1人だけ顔が
空に浮かんでいるかのように写っていたのでした。
私さえ写っていなければ、ベスト・ショットだったかもしれません。
しかも、浮かんでいる私の顔は、かすかに笑顔を浮かべているという。。。

みんなから浮かんで写っているあの写真の私の姿は、現実の私の姿をそのまま
写したかのようでした。別な意味でベスト・ショットだったのかもしれません。

それにしても、なぜだかあの写真の私の笑顔は自分が見てもいい笑顔なんですよね。
なんであんな笑顔が出来たのか不思議です。

(2008年1月 微妙に追記・修正しました)



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ジャンル : 心と身体

”友達になりたい”
さて、いよいよ中学校時代のお話に突入です!!

・・・*・・・*・・・*・・・

私が中学1年生の頃のお話。

同じクラスの中に、Yさんというクラスの中でもリーダー的存在の明るくて活発な女の子がいました。彼女はスポーツ万能で、成績も良く、誰からも好かれるようなタイプの子でした。

私の通っていた中学には、3つの地元の小学校からの進学がほとんどだったのですが、彼女と私は別の小学校出身だったので、当時は同じクラスメイトという以外は特に何の接点もない関係でした。

給食時のスタイルは特に決まっておらず、大抵、仲良し同士が机をくっつけて集まって食べていたのですが、ずっと緘黙だった私には給食を一緒に食べてくれる友達などいるはずもなく、当然のように私はずっと一人で黙々と食べていたのでした。


そんな生活が半年ほど続いたある日の給食の時間、そのリーダー的存在のYさんが突然私のところにやって来て、

「るいさんと友達になりたいな~。一緒に食べていい?」

と聞いてきたのです!突然、リーダー的存在の子に話しかけられ、すごく驚いた私でしたが、特に断る理由が見当たらなかったため、そのまま首を縦に振りOKサインを出したのでした。

その日から、私とYさんは机をくっつけて2人で一緒に給食を食べる日が始まりました。私は何も言わずに黙々と食べているので、時々Yさんが思いついたことを質問してくるのですが、私は首振りでの受け答えか、「別に・・・。」「特に・・・。」という返事しかできず、その場に居合わせるだけで精一杯だったのでした。(今思えば、会食恐怖症もあったんだと思います。) 本当は一緒に給食を食べてくれて、話しかけてくれて、すごく嬉しいはずなのに。。。

Yさんに質問されたことで覚えているのは、「好きな音楽とかあるの?」という質問。私は当時、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック(懐かし過ぎ(笑))が大好きだったので、本当は素直にそう答えれば良かったものを、「別に・・・」と答えてしまったのでした。なぜか自分の中の”素”の部分を学校で出してはいけない、意外な一面を出してはいけないと思っていて、言いたいことも言えない状態だったのでした。この時、素直に「ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック」と答えていたら、もしかしたらYさんとは一歩進んだ関係を築けていたのかもしれません。

結局、どんな質問をしても素っ気ない返事しか帰ってこないことにYさんはしびれを切らしたらしく、約1週間で給食の相席はお開きとなったのでした。その後はYさんから再び声がかかることはなく、私はまた一人で黙々と給食を食べるスタイルへと戻ったのでした。

あの時、私に「友達になりたい」と言ってくれたYさんの言葉は、Yさんの心からの希望だったのかどうかは不明です。たぶん違うんだろうな。というのは、私が保育園の時に経験した、男の子が先生に頼まれて一瞬だけ私と遊んでくれたという出来事があったので、もしかしたら今回のこの1件も、Yさんが先生から依頼されて私に近づいてきたんじゃないかと思っています。けれど、もしYさんの本心からの気持ちだったとしたら・・・?

いずれにしても、私は自分に与えられたせっかくのチャンスを自らの手で台無しにしてしまったのでした。あの時、本当にYさんと友達になれていたら、その後の学校生活は一変して、楽しい学校生活を送っていたのかもしれないと未だに思う時もあります。でも、あの時はああいう態度をとるだけでも精一杯だったのも事実なのですが。。。。


でも、この件の約半年後。私は初めて心から”友達”と呼べる人と出会うことになります。その話は後日ということで。。。




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緘黙症治療プログラム
今回は、私と同じ緘黙仲間(勝手にそう呼んでいます)の弥生桜さんから、【緘黙症治療プログラム】の提案がありましたので、私のブログでも紹介させていただきます。

・・・*・・・*・・・*・・・

海外では最新の研究成果と臨床経験に基づいて書かれた保護者向けの緘黙児治療マニュアルが出版されています。7月9日の弥生桜さんのブログの記事で、自分が英語を読めなくても、その本をもとに最新の治療プログラムを実践する方法が提案されました。

カナダから出版されている保護者向けの緘黙児指導マニュアル本
Helping Your Child With Selective Mutism: Steps to Overcome a Fear of Speaking】(直訳:”選択的な無言症に対してあなたの子供を支援すること;談話の恐れを克服するステップ”)は、専門家向けの指導書を元に保護者向きに特化して書かれたもので、緘黙児の指導方法を手取り足取り指導してくれる、本当に優れた本です。けれど、英語で書かれているので、お読みになるのが難しい方が多いと思います。


そこで、弥生桜さんからの提案です。


続きを読む

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ジャンル : 心と身体

周りの反応が気になって・・・できない!
またまた小学生時代のお話です。

この日差しの暑くなってくる季節になると思い出すことがあります。
私は夏場でも滅多に半袖にならない子供でした。とはいっても、
小学2年生頃の記憶では、そんなに抵抗無く半袖のTシャツで学校へ
登校していた記憶があるので、たぶん小学3年生頃からかな?

そのきっかけとなったのは・・・ある日、私は気付いたんです。
自分が他の子より手足が毛深いことに(笑)今だから笑えますが、
当時は、「他人と違うこと=目立ってしまう」っていう思考回路が
強かったので、これはもう、長袖しかないだろうと。

ということで、小学3年生からの夏のほとんどは、半袖の上に学校指定の
ジャージ(長袖・長ズボン)を着込んで登校していました。あまりにも暑い時
には、腕まくりもしましたが、基本はこのジャージ姿です。
学校から帰ってくると、急いで半袖・半ズボンに着替えていました。

小学5年生ぐらいの時、どうしても暑さに耐えられず、半袖・半ズボンの私服で
登校したことが一度だけありました。近所に住む従妹のおばちゃんに、
「今日は珍しいね~」と言われたので覚えてます(笑)

服装に関して言えば、スカートを穿く事に対してもかなり抵抗がありました。
普段着がジーンズにしろジャージにしろ長ズボンだったので、いつもと
違うタイプの服装になることには激しく抵抗がありました。
それに加え、多少のこととはいえ肌を露出するのが基本的に嫌なんですよね。
制服とか、決められたものは仕方なく身に着けましたけど・・・
大人になった今では、スカートを穿くことに関しては、子供の時ほどの抵抗は
ありませんが、やっぱりいつもと違うという感じがして、落ち着きませんね。
洋服によって”自分が守られている”という安心感があるのかもしれません。

そうそう、スカートに関する思い出といえば、小学生の時、鼓笛隊の隊員だった
のですが、6年生の卒業式で鼓笛隊員の女子はスカートで参加すること、という
指示がだされ、私も仕方なくスカートを身につけた記憶があります。スカートなんて
穿いたことがないものだから、母親が着替えを手伝ってくれました。その時に
母が用意したのは、姉のお下がりのスーツのスカート。私がいやいやながら
着替えているのとは裏腹に、母はすごく嬉しそうだったのを覚えています。
母親としては女の子らしい服装をして欲しいと常に思っていたのでしょうね。

ヘアースタイルにも抵抗があったなあ。。
物心付いた時の私のヘアースタイルは短かったので、そのままずっと小学校生活を
過ごしました。中学2年の時に姉に「伸ばしてみれば?」言われたのがきっかけで
気まぐれで伸ばしはじめて。(今思えば、変化を嫌う自分にとってはすごいことです!)
でも、髪を伸ばしたまでは良かったのですが、周りから何か言われるのでは?という
不安から、結わえることも出来ず、飾りもつけず、伸ばしっぱなし。

中学3年になったある日、勇気を出して髪を結わえたのですが、「あれ?結んだんだ~」
っていう反応が周りからちょっとあって、いつもと違う自分を見られてる!と感じるのが
とても嫌だったのを記憶しています。でも、自分でも髪が邪魔だったので、すっきりできて
ほっとした記憶もあります。

そこで今度は、邪魔だった伸びた髪を結べたのは良かったのですが、また周りに
何か言われたりするのが怖くて、今度は髪を垂らすことができなくなって(笑)
いい加減、同じへアースタイルで嫌だから、思い切ってばっさり切りたい!
と思いつつ、数年間は周りの反応が怖くて切ることが出来ず。
結局、ばっさりカットできたのは、社会人になってから数年後のことでした。
・・・・今考えても、周りを気にし過ぎだなって思うけど、当時は本当に勇気が無くて。

ホント、くだらないことで悩んでたなって思います。

今でももちろん、その傾向は強いけれど、おばさんになるに連れ、考え方がこれでもだいぶ
アバウトになってきて、少しずつですがそういう呪縛から逃れつつあるように思います。
誰に言われてそう思ってるわけじゃないですからね。自分で勝手に気にして。

これは、あきらかに呪縛ですよね。呪縛


人目を気にして自分の服装も自由に出来ないとか、ヘアースタイルも変えられないとか、
こういうことで悩んできたのは私だけかと思いきや、以前、朋花さんのブログを読んでいて、
緘黙児の傾向として変化することに敏感であるということを知り、目が覚めたような気がしたのでした。

これも緘黙症状の一環だったのね~!!みたいな。


実は、私の息子(4歳)もそういう傾向がかなり強くあります。
暑くなってきても、なかなか半袖・半ズボンに着替えてくれないんですよね。
登園前のお着替えの時間は、「半袖にしなさい」「ヤダー!!」と数日やりあって、
ある日、息子が観念して半袖のTシャツを着てくれた時にはホッとしました。
半ズボンは、それから数日後に穿いてくれました。
(○○くんも半ズボンだよ!という言葉に乗せられて

ちなみに、息子は今のところ大人しめではありますが、幼稚園で話したり、
お友達と遊んだり出来ているようなので緘黙児とはちょっと違うようなのですが、
なにぶん私の息子なので・・・きわどい状態に位置しているのは確かだと思います。

息子には私のような生きにくい人生は送って欲しくないので・・・
このまま”身近にお友達のいる人生”を重ねていって欲しいなと思っているところです。
(我ながら、親らしいコメントだ・・・(笑))

周りの反応が気になるっていうことは、言い換えれば、
「自分に自信が無いということの表れ」なんじゃないかと
私は思うんですね。周りがどういう目で見ようとも、自分のスタイル(ポリシー)を
持っている人に凄く憧れます。

「私は私でいいんだ」と周りと自分との境界線を引くことができれば、
もっと自由に、もっと生きやすい毎日を送れるんでしょうね。
今からでも、そういう生き方ができるように努力したいなって思います。

(2008年1月 微妙に追記・修正を加えました)


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ジャンル : 心と身体

話せないことが、悔しかった出来事
またまた小学校時代のお話です。

・・・*・・・*・・・*・・・

小学5,6年生になって、親しくしてくれる同じクラスの女の子が
数名出来たと以前の記事で書きましたが、その女の子達とのお話です。

ある日のこと。学校の休み時間に、ある女の子(Rちゃん)が、
「今度の日曜日に、みんなでうちで遊ばない?」とお友達を誘ったことがありました。
それは、誰に対して言ったというわけじゃなく、そこにいたみんなに向かって
発せられた言葉だったので、その誘いには果たして私のことも含まれているかどうかは、
正直、微妙だったわけですが・・・

・・・*・・・*・・・*・・・

日曜日になりました。

私は、行こうか行くまいかかなり迷ったのですが、もし私も誘ってくれていたとしたら、
私が行くまで待たせてしまうかもしれないし、申し訳ないなっという思いが拭いきれず、
集合場所が自分の家から近い小学校の校庭だったこともあり、取り合えず、
約束の時間に自転車で校庭に行ってみることにしました。

けど、約束の時間になっても誰も現れず

私は暇だったので、乗っていった自転車で校庭を走行して1人で遊んでいたのでした。
もう少しだけ遊んで、そのまま誰も来なかったら、家に帰るつもりでした。
そろそろ帰ろうかと思っていたら、グランドへRちゃんがやって来ました。
Rちゃんは、誘ってくれた女の子です。Rちゃんは、「まだ(他に)来てないの?」と言った後、
「うちに入って遊でようよ」と自宅に私を入れてくれたのでした。

今思えば、この時が同級生の子の自宅に入った初めての経験でしたね。
Rちゃんにはご両親と妹さんが1人いたのだけど、用事があって出掛けたらしく、
家にはRちゃんだけだったようです。

Rちゃんは押し入れに閉まっていたおもちゃ箱を出してきて、私に、
「勝手に触って遊んでいいよ」と言って、外へ出ていきました。
小学校の校庭に、他にお友達が来ていないか見に行ったようでした。

少し経って、外から声が聞こえてきました。

「るいさんが来てるよ。」

「来てるの?ホントに?」


という会話が聞こえてきました。
この会話を聞いて私は、「私は誘われてなかったんだな・・・」と気付いたのですが、
時既に遅し。私はRちゃんの家に上がり込んじゃってるし
少々肩身の狭い思いをしながら、後からやって来た女の子3人と合流したのでした。

何をやって遊んだかは余りよく覚えていないけど、おもちゃ箱の中にあった
ハゲ頭のヅラを私が被って見せて、みんなを笑わせたような記憶があります。
私はそういうイタズラが好きなので(笑)

後は、Rちゃんちにあったゲームとか、人形とか、外の庭にあったブランコだとか、
そういったものを好きなようにみんなそれぞれ遊んでたような気がします。
そういった中、何がどうなったのかはわからないけどトラブル発生
Hちゃんが急に怒って、Rちゃんちの玄関から出ていきました。

「どうしたの??」「帰らないでよ!!」と追いかける女の子達。
私も意味が分からないまま、取り合えずHちゃんが帰ってしまうのを阻止しようと
女の子達と一緒に外へ飛び出しました。

Hちゃんはみんなから逃げるように早足で歩いていきます。
みんなでそのHちゃんの後を追いかけます。
「Hちゃんの行く手を先回りしよう!」と誰かが言いだし、数人の女の子達が
Hちゃんが辿り着くであろう場所に別ルートから先回りしに走って行きました。
私は1人だけその場に残り、みんなが先回りしたことに気付いたHちゃんが
そのまま行った道を引き返して来るんじゃないかと思って、
そのままHちゃんが歩いていった道を歩いていきました。

私の予想は的中!!

Hちゃんは、泣きながら道を引き返してきて、私の方に向かって歩いてきたのでした。
私の所まで辿り着いたHちゃん。私に向かって泣きながら、

「なんで私だけ,x.mga;]jgpka@jgなの!?(意味不明)」

「なんでみんなして <?ゆ()れ#%#”う !?(意味不明)」

「ねえ、るいさん、教えてよ~!!」


と泣きついてきたのでした。
私は、Hちゃんにこんな風に泣きつかれるとは思ってもいなくて、
こういう状況も初めてだったし、私自身ビックリしたこともあってか
Hちゃんが言っていることもうまく聞き取れなくて、もしHちゃんの言っていることを
聞き取れたとしても、緘黙児だった私は何も言えるはずもなくて・・・・
ただ、泣いているHちゃんの側に立っていることしか出来なかったのでした。

そこへ、先回りしに行った女の子達が戻ってきました。
女の子達は、Hちゃんの話を聞いて、「そんなことないよ。」だとか、
「もう泣かないで。」だとか言っていました。

少し経って、泣きやみ、落ち着いたHちゃん。
またみんなでそれぞれ遊び始めたのですが、その時Hちゃんが、

「るいさんに聞いたのに、何も答えてくれなかったんだもん。」

と他の女の子に話しているのを聞いて、私はHちゃんに対して
何もしてやれなかった自分に、とても悔しい思いをしたのでした。

同級生のみんなの前では”話せない自分” ”話さない自分”を当然のように思っていた私。

けど、私に”話して欲しかった”Hちゃん。

私は、結果的にHちゃんの期待を裏切ってしまったという事実がショックで、
何も話せない自分を、何も話せなかった自分をとても嫌になったのでした。
言葉でなくちゃ、その時相手に伝わらない思いもあるんですよね。
私が場面緘黙症だったことをとても悔やんだ出来事でした。

後から聞いた話をまとめると・・・Hちゃんが怒った原因は、この日集まった女の子が
5人と奇数の人数だったこともあり、どうやらいつの間にかHちゃんだけ仲間はずれに
されているような気持ちになったことが原因のようです。
私さえ来なければ、Hちゃんは楽しい日曜日を過ごせていたのかも知れません。

この後、どうやって女の子達と遊んで別れたのか、全く覚えていません。
女の子達とプライベートで遊べたのは、これが最初で最後でした。

(2008年1月 微妙に修正を加えました)


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るい

Author:るい
場面緘黙・複数の恐怖症・吃音などの経験を持つ主婦。タイトル下の文にある「中間族」とは、自己診断で場面緘黙・恐怖症と知りつつも治療を受けるほどではなく、かといって世の中を上手く渡れない、そんな中間の立場で生活している自分を例えた言葉。知らない場所・空間の中にいるのが苦手。人や環境に慣れるまでに時間が掛かり、その間は会話がなかなか成立しない為、第一印象で「大人しい・根暗・変な人」と思われがち。基本的に面白いこと大好きな明るい性格。慣れればよく喋りますが、文字の方が自分を出せてる気がします。喋るより書く方が好き。

★息子(ゴン)の紹介・・・今春から高1の15歳。運動苦手・勉強苦手・生真面目・大人しいという性格上、未就学児の頃から小学卒業まで嫌がらせなどのトラブル多数。小5、小6の2年間、学級・学年崩壊を経験。嫌がらせ・いじめ・暴力による怪我やトラブルが日常的に。クラスが落ち着き始めた頃、元友達からのストーカー行為により、ストレス性胃炎での遅刻、欠席が頻繁に。区域外の中学で心機一転、すぐに友達も出来、順調に思えた中1の5月、左足不随をきっかけに不登校に(後に心身症と判明)。同7月、WISC-IVでLDと判明。発達性協調運動障害の傾向も。約1年間の通院・カウンセリングを経て徐々に登校日数が増え、中3は欠席ゼロで中学を卒業。推薦入試で第一志望の高校合格をゲット。現在は元気に通学中。

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