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2006/06
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憧れの鼓笛隊
またまた小学校時代の話です。

・・・*・・・*・・・*・・・

私が小学6年生の時のことです。
私の通っていた小学校では、毎年の運動会で小学4,5,6年生全員で鼓笛隊を結成し、
運動会で演奏を披露するというのが毎年の恒例でありました。
鼓笛隊は人数が多いため、大多数の人がリコーダーで、限られた人だけが
ドラム、ベルリラ、アコーディオンなどの特殊な楽器を演奏するというスタイルで、
特殊な楽器を演奏できる人は、6年生の中から決められていました。

・・・*・・・*・・・*・・・

ある日のホームルーム時間。
担任の先生が立候補者を募っていたのですが、アコーディオンの演奏者が1人足りず、
困っていました。先生は、「誰かいない~?」とクラスのみんなを見回しながら、
なぜか時折、目配せで私に(立候補しない?)と無言の圧力を掛けてくるのでした。
たぶん、私が立候補しようか迷っていたのが、T先生に伝わったんでしょうね。

実は私には姉が2人いるのですが、2人とも小学6年生の時に鼓笛隊のアコーディオン
を担当していて、私は姉達とは5~7歳ぐらい年が離れているのですが、小さいながら
その姉の姿を見て、鼓笛隊でアコーディオンを演奏する姿に憧れていたんですよね(笑)

迷って迷った結果、私はずっと憧れていたアコーディオンを演奏するという夢を
捨てることが出来ず、自分が緘黙児であることを考えずに立候補してしまったのでした。
その時のT先生の嬉しそうな顔は忘れられません。
立候補者が出揃って嬉しかったのか、私が立候補したから嬉しかったのか解らないけど

・・・*・・・*・・・*・・・

さて、勢いでアコーディオンの担当に立候補してしまった私。
翌日から、運動会に向けての各担当ごとの演奏の練習が始まりました。
どんな感じで練習したのかはよく覚えていません。私はアコーディオンを演奏するのは
初めてだったのだけど、少しずつ演奏できるようになり嬉しかったのを覚えています。

そうそう、1つだけ記憶している練習風景があります。
運動会で演奏を披露するという目的があったので、練習の中には、演奏しながら
列を乱さずに校庭を行進するという練習もありました。

私が前方の人との間隔を保って演奏をしながら行進をしていると、
後ろにいた同級生の女の子が、私に言いました。

「ちょっと、るいさん!もっとゆっくり歩いてやったらいいじゃない!
●●●ちゃん(私の隣を歩いている同じアコーディオン担当の子)が可哀想でしょ!?


私は最初、意味が分からなかったのですが、どうやら校庭を行進しているうちに
私の隣にいた●●●ちゃんは、足の膝の裏を蚊に刺されたらしく、そこから出血してしまい、
気になって歩きにくい、という事だったらしいことがわかりました。正直言って、
「そんなこと、横にいた私が知るかい
と思ったのですが、緘黙児だった私がそんなことを口に出せるはずもなく、
隣の子に合わせるようにゆっくりしたペースで歩いてあげたのでした。
私としては、行進の列が乱れる方が嫌だったんですけどね。(完璧主義なので)

まあ、そんなこともありつつ、鼓笛隊の練習は無事に終わり、本番も上手くいったような
気がします。(あまり覚えてません。写真もないし。)

必死でやっていたせいか、記憶がほとんど無いです。でも、憧れのアコーディオンを
姉と同じ鼓笛隊の中でやれたという記憶だけはしっかりと思い出となって残っています。

緘黙児としてのこの経験はどうだったのかはちょっとわからないけど・・・
同じくラスの中で私と仲良くしてくれた女の子も1人、ドラム担当になり、
特殊楽器の練習に一緒に参加できたのが、私にとっては大きかったかも。
練習に行く時に声を掛けてもらえたりしてね。誰かと一緒に行動できた、とか、
みんなと違う行動ができた(別の楽器を演奏できた)っていうのは、自分の中で
プラスになって、励みになっていたように思います。

・・・*・・・*・・・*・・・

テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

班長体験
さて・・・今日から緘黙体験談の復活です!
またまた、小学校時代の話になります。

・・・*・・・*・・・*・・・

私が小学3年生の時の話です。
何学期の時だったかは忘れたのですが、ある日、班替えが行われました。
いつもの班替えだったら、班のメンバーの中でジャンケンなどで班長を決める
パターンがほとんどだったのですが、今回の班替えは違っていました。

班長は、先生の指名でした。

もう嫌な予感はしていると思うのですが・・・(笑)
私は先生の指名により、ある班の班長とされてしまったのでした。
私ほど大人しくはないけれど、少し大人しめの男の子が同じくラスにいたのですが、
その子も別の班の班長にされていました。
先生の考えとしては、普段目立たない子を班長にして、リーダー性を持たせようと
したのかもしれません。
けど、緘黙児を班長って・・・・かなり無理があるかも

色々不自由な事があったと思うのだけど、あまりにも嫌だったせいか、
私が班長時代の記憶がほとんど無くて・・・・
唯一、覚えている記憶が、毎日、班ごとに行われる学校の掃除で、
ゴミを捨ててくる人を班長が指名しなければならないんですよね。

緘黙児の私が名指しできるわけもなく。。。。
仕方がないので、班のメンバーが班長(私のことですが)に詰め寄り、
「今日は誰?私?」「オレ?」なんて聞いてくるわけです。
無我夢中で、適当に首を縦に振り、指名していました。
これが一番嫌でしたね。

班のメンバーの、(早く指名しろよ)っていう雰囲気。

先生の期待していた行動などおそらく出来るわけもなく、みんなの期待にも
応えられるわけも無く、短期間で班替えが行われたような気がします。
こういうきっかけで、大人しい子が急に積極的に話し出すとでも先生は思ったのでしょうか。
自分から立候補したんならともかく、急に”長”の付く大役(子供にとっては)を任され、
大変迷惑な出来事だったのでした。みんなもさぞかし迷惑だったことでしょう。

先生にとってはこういう企画(?)というか思いつきは、ある意味、子供に刺激を与える
という意味で、ショック療法のつもりだったのでしょうか。
先生とはいえ、押し付けはいけません、押し付けは。
急激な変化は、子供にストレスになるだけだと思います。
というわけで、少なくとも私には、全く意味のない班長体験だったのでした。

(2008年1月 微妙に追記・修正を加えました)

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6月18日は、チビの命日(4)
前回書いた「6月18日は、”チビ”の命日(3)」からの続きになります。

・・・*・・・*・・・*・・・

6月18日の朝、とうとうチビが亡くなってしまいました。

日に日に衰弱していく様子が伺えたので、なんとなく(今回の様子じゃ、チビはヤバイんじゃないか)って感じていたので、それなりに心の準備が出来ていたためか、そんなに動揺せずにチビの死を自分なりに受けとめていたような気がします。けれど、昨日まで生きていたチビが急にいなくなったという事実が後からじわじわと私の中で広がっていったのでした。

毎日の日課だったチビの散歩がなくなるということ。主を失い、ぽつんと寂しげな犬小屋。チビが生きていた時には気付いていなかったけれど、キッチンの洗い場に立つたびに、窓から見えるチビの姿をいつも目で追っていた自分に気付いたりもしました。

車に乗せてやったら、車酔いをしていたチビ。山菜採りにチビも連れていき、山でリードを放してやったら喜んで走り回っていたチビ。なんか臭いな、と思ったら、チビが全身、鶏糞だらけになった姿で現れ、近づいてくるとクサイので、母と私で、チビが走って近づいてくるたびに「あっちいけ~!」「こっちくるな~!」と言ったこともありました(笑)

チビの毛足が長いので、柴犬っぽくしてやろうと私がハサミでチビの毛をカットしてみたこともありました。(途中で挫折しましたが)ブラシで毛並みをとかしてやると、後ろ足も一緒に動かしていたチビ。頭とか首の後ろに洗濯ばさみを付けたら、前足で一生懸命洗濯ばさみを外そうとしていたチビ。その姿がかわいくて、ついついイタズラしていました(笑)大人しい犬で、私に口が開かないように鼻の所を掴まれても、(変なことするやつだな)っていう目で私を見ていたチビ。

普段はおとなしかったチビだけど、発情期にはなぜか決まって三日三晩、寝ずに吠え続け、母に「うるさい!」と犬小屋の中に閉じこめられていたチビ。あれは近所迷惑だったなあ。。あまり芸は教えなかったけれど、お座りとお手、それから、ご飯の時に「ちょうだいは?」って聞くと、「ワン!」と返事するのが唯一の芸だったチビ。家の中に入らないように母にしつけられたチビ。私が玄関のドアを開けて、「おいで♪」ってすると、入って良いのか悪いのか迷いつつ、ちゃんと教えを守って外にいたチビ。

思い返せば、私によくイタズラされてたね、チビは(笑)確かに、毎日のお散歩は嫌だったけれど、チビがいなかったら、私は母と2人暮らしだったわけで。。。チビはチビなりに母と私の心をそれなりに和ませてくれていたことにチビを失った今となっては気付かされたのでした。

・・・*・・・*・・・*・・・

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6月18日は、”チビ”の命日(3)
前回書いた「6月18日は、”チビ”の命日(2)」からの続きになります。

・・・*・・・*・・・*・・・

一日一回、夕方のお散歩を日課としていたチビと母と私の共同生活は、私が高校生になっても続いていました。大抵、朝のチビへの餌やりは母の仕事。夕方のお散歩は私の仕事って感じでしたね。

こんな生活がずっと続くんだろうなと思っていたのですが、私が高校3年生となったある日、チビの体調に異変が現れました。詳しいことはよく覚えていないのだけど、嘔吐とかしていたような気がします。今回に限らず、チビは年に2度ぐらいの頻度で体調を崩していたので、今回も2,3日で快復するだろうと思っていました。

でも、今回は違いました。

チビは、食欲不振、嘔吐に伴い、みるみる激痩せしていきました。目には黄疸が見られ、白目のはずの部分が黄色になっていました。獣医さんには連れていった記憶はありません。田舎なので獣医なんていないし、もし獣医が見つかったとしても、たぶん隣の市までタクシーで行かなきゃいけなかっただろうし、我が家には父親以外に車を運転できる人がいなかったので、母と私は為す術もなく、チビのことを見守っていました。

チビはやがて、変な咳をするようになりました。「ゴホー、ゴホー、・・・」というような、深い咳。素人目にも、チビの病気はかなり進行していることが伺え、母と私も毎日、「大丈夫かな」と話をしていました。

あまりにもチビが辛そうなので、母は、途中からチビを繋いでいた首輪の紐を外してやり、チビはよたよたした足取りで、家の周りを過ごしやすい場所に移動して過ごすようになりました。朝、餌をあげるためにチビの姿を探すのが母と私の日課に加わりました。チビは、犬小屋の近くにいることもあれば、隣家の畑の中にいる時もありました。

しかし、そんなチビの放し飼い生活も、長くは続きませんでした。放し飼い生活が1週間ほど続いた1991年6月18日の朝。

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6月18日は、”チビ”の命日(2)
前回書いた「6月18日は、”チビ”の命日(1)」からの続きになります。


・・・*・・・*・・・*・・・


チビの世話をするはずだった兄が、高校進学のため家を出たため、思いがけずチビの世話をするハメになった母と私。我が家では、「家を汚されるのが嫌だから」という母の強い希望で、毎回犬を飼う時には、外に犬小屋を置き、そこで犬を飼うのが常識。チビも例に漏れず、外での生活を余儀なくされました。犬小屋は父が作ってくれたのでした。

「汚れる」ということをとても嫌がる母は、チビが犬小屋の周りで排尿をすることをとても嫌がりました。なので、(小さい頃からのしつけが大事)と、母はチビに犬小屋の周りで排尿しないようにしつけたのでした。(ただし、我慢できないだろうという理由で、ウ●チはOKでした。)

チビのご飯は、一日1回、朝だけ。しかも、ドッグフードではなくて、人間(母と私ですが)の食べ残し。別に、虐待してるわけじゃなくて、母や父の世代でいう犬の飼い方はこういうものなんだそうです。お水は常に与えていましたよ、もちろん。

犬小屋の周りで排尿しないようにしつけをしたため、チビのお散歩は毎日必須でした。当時、母は仕事をしていたし、私は学校があるので、朝はどうしてもお散歩が出来ず、チビのお散歩はどうしても夕方になってしまいます。

私が下校し、家路までの道を歩いていると、遠くから「キャンキャン!ワンワン!」と聞こえて来るんですよね。家が近くなるに連れ、鳴き声もはっきりしてくる。

紛れもなく、チビの鳴き声だ。

チビは一日1回のお散歩をどれだけ楽しみにしていることか。犬小屋の周りで排尿できないんだから、尿意もかなり我慢していることでしょう。けれど、部活を終えてヘトヘトになって帰宅する私にとっては、遠くから聞こえてくるチビの鳴き声は、日に日に不快なものとなっていたのでした。

家に帰れば、休む間もなくチビのお散歩に行かなければなりません。それは、お天気を問わず、やらなければいけないこと。おしっこを我慢しているチビは可哀想。けど、お散歩は面倒。仕方がないので、カバンを家に置いてすぐにチビのお散歩へ。私が犬小屋に近づいてくるのを見つけると、「待ってました!!」とばかりにチビは犬小屋の周りを動き回ります。

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6月18日は、”チビ”の命日(1)
今日はちょっとメンタルな話はお休みです。

タイトルの”チビ”とは、昔、田舎の実家で飼っていた犬のこと。本名は、”チビ丸”。性別は、オス。普段は、「チビ!」と呼ばれていたMIX犬。毎年この時期、チビのことを必ず思い出します。なんでだろ。普段は忘れているのに、突如として思い出すんですよね。昨日も例年通り、突然、「明日はチビの命日だ!」と思い出し、これはブログにでも書いておこうかな、と思い立ったのでした。

ということで、今日はチビへの供養も兼ねて、チビのことを思い出して書きたいと思います。


・・・*・・・*・・・*・・・

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家の電話にて。。。
電話がらみの話を思い出したので、書いてみますね。

小学5,6年生の頃の話です。
日曜日のこと。家で留守番をしていると、家の電話が鳴りました。
私は家の電話は取れるんですよね。それは、自分には友達がいないので、
自分宛の電話はあり得なかったから。なので、この日も何とも思わずに
電話の受話器を取ったのでした。

「もしもし~」

・・・といつものように言ってみると、電話の相手はなんと、同級生の女の子だったのです!
(以下、Hちゃんとしますね)


Hちゃん 「Hですけど、るいさんいますか?」


家で油断していたとはいえ、普通に同級生の子に話してしまった!という状況に
半分パニックを起こしていた私は、「私(が、るい)です。」とはとても言えず、
とっさに、(家族の誰かが電話に出たことにしよう)と思いつき、


 「ちょっとお待ち下さい。」


と言って受話器を置き、自分を呼びに行くふりをして、玄関をうろうろした後、
たった今自分が部屋から出てきて電話に出たかのように、「もしもし?」という自作自演をやってしまったのでした。

けど、演技力が今ひとつだったんでしょうね。
Hちゃんには、「さっきの電話も、るいさんだったでしょ?」と言われてしまい、絶句したのでした。
最初に素の状態で声を聞かれてるからね、誤魔化しようがないですよね(笑)

さて、Hちゃんは私に何の用かと思ったら、私の家は小学校からとても近い場所に
あったのですが、Hちゃんが小学校の校庭まで出てくるので、そこで少し遊ぼうという
お誘いでした。どんな風に私は電話で返事をしたのか覚えていないのだけど、
その日の午前中、一緒に小学校の校庭で遊んだのでした。

でも、1時間ぐらい経ったら、Hちゃんは「あ、時間だ。」と言い、「じゃあね~」と
去ってしまったような記憶が。。。要は、私はHちゃんの時間潰しのために小学校から
家が近いからという理由で駆り出されただけみたいです。
これは、当時の私でも理解できました。

でも、Hちゃんに対して文句があるわけじゃなくて、前回の記事「学校を楽しいと感じた時」
にも書いたように、Hちゃんは学校で私と親しくしてくれている同級生の女の子の中の1人
でもあり、こんな風に気軽に誘ってもらえたのは生まれて初めてだったので、例え暇つぶし
の相手にされただけだとわかっていても嬉しかったですね。

Hちゃんとのその後になりますが、Hちゃんとは中学まで一緒で、しかも同じ部活
(ソフトボール部)でした。だから、部活を通じてなんだかんだと接触はありましたね。
高校進学でHちゃんとは別々の高校へと別れたのですが、私もHちゃんもソフトボールは
続けていて、ある時、大会の地区予選で偶然同じ会場でHちゃんと出くわしたのでした。
その時は私の緘黙症状もだいぶ好転していて、Hちゃんは私を見つけて、
「るいさん、明るくなったね、良かったね~」と言ってくれたのでした。
嬉しかったなあ。私のことを覚えてくれていて。

彼女と会ったのはそれで最後かな。
いや、もしかしたら田舎の成人式に参加したとき、Hちゃんも参加していたのかも
しれないけれど、Hちゃんを見た記憶もないかな。。
なんだか久しぶりにHちゃんのことを思い出しました。
同級生との良い思い出はあまりないので、同級生と会いたいとはほとんど思わない
のですが、彼女とは、大人になった今でも会ってみたいような気もします。
でも、自分から声を掛ける勇気はないと思うけど。
きっと今ごろ、優しいお母さんになっているんじゃないかと思います。

(2008年1月 微妙に追記・修正を加えました)



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学校を楽しいと感じた時
またまた小学校時代の話です。私の場面緘黙は小学生の時がピークだったので、
小学校時代のエピソードが多いですね。

何度かブログにも書いてきたK先生が担任だった小学4年生も終わり、
私は小学校高学年の5年生へと進級しました。
5年生になると担任の先生が替わり、男の先生(以下、T先生)になりました。
T先生は、どの生徒に対しても平等な態度で接してくれ、私は小学4年生の時に比べ、
過度な緊張もしなくなり、少しずつ学校でもリラックス出来るようになった気がします。

どういうきっかけだったのか忘れたけれど、5年生になってずっと1人だった私に
親しくしてくれる同級生の女の子が数名現れました。
私は普段声は出せなかったけれど、笑顔を出すことは出来たので、
女の子達とふざけてはニコニコ笑う日がだんだん増えていきました。

女の子達とふざける・・・といっても、声が出せないので、誰かの消しゴムをちょっとだけ
隠してみたりとか、他愛のないイタズラが多かったかな。それでも、楽しかったですね~。
授業中に紙の切れ端に書いた伝言が回ってきて、先生に見つからないように回したり。
一度、私が授業中にイタズラしているところを偶然T先生に見つかって、目配せで(ダメ!)
と注意されたりして。今思えば、優しい先生だったな。

この頃、生まれて初めて学校が楽しい!と感じていました。
自分でも、わくわくしながら教室へ続く階段を登っていたのを思い出します。
今までが変化のない毎日だっただけに、ちょっとしたことがすごく楽しく感じました。

6年生に進級しても、クラスのメンバーはそのまま。担任の先生も持ち上がりでT先生。
5年生、6年生の頃の小学校生活は、周りに友達らしき子がいたので比較的楽しく
過ごせたように思います。けど、誰かとペアになって・・・だとか、グループで行動なんて
時は、基本的には1人だったんですけどね。

女の子達との友人関係は、中学生になっても続くと思っていました。
けど、現実は厳しいものでした。中学生になってからの様子は、
以前ブログに書いた記事「お別れの印」に繋がります。

今思えば、5年生になって急に親しくなれた女の子達って、T先生に頼まれて私に
近づいてくれたのかもしれませんね。当時の私は、そこまで深く考えずに、純粋に
楽しんでいたのだけれど。。けれど、約2年間、この女の子達と付き合えたおかげで、
私の緘黙症状は少しずつだけれど緩和されたことは確かなのです。

子供を成長させるためには子供同士の関係が一番なんだなって、今となっては
すごく実感しています。大人と子供では物事に対する視線がどうしても違ってくるものだ
と思うし、いくら大人が親身になって子供に接しても、子供には子供を通じてしか
感じることのできない特別な”何か”があるんだろうなと思います。
大人だけの力では及ばないことが、子供の世界にはあるんでしょうね。

(2008年1月 微妙に追記・修正を加えました)


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『トビラノムコウ』の感想UP
以前もこのカテゴリーで紹介したのですが、山下康代さん著『トビラノムコウ』を遅ればせながら読み終えたので感想をUPしたいと思います。

トビラノムコウ
トビラノムコウ山下 康代

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~あらすじ~

長い間、深い海の底へ閉ざされていた記憶が今、ここによみがえる。

緘黙、いじめ、喘息、自閉、登校拒否、高校中退、引きこもり、セックス依存、リストカット、 自殺未遂、 精神科病棟…。
「吃音(どもり)」という十字架に囚われた「私」がホントウに欲しかったものとは、いったい何なのか? 未完成のパズルを一冊の本にまとめ上げた時、「私」はようやくトビラノムコウへの第一歩を踏み出す。

(著者のHPより、本の紹介文を引用しました)


この本の著者は、私のブログ仲間でもありますので、本を出版される前から(どんな本に仕上がるのだろう)と楽しみにしていたこともあり、ドキドキしながら読ませていただきました。

私がこの本を読んで思ったのは、吃音や喘息、登校拒否など、そういったことを経験した当事者が、当事者側からの立場でここまで鮮明に書き下ろしている本は、おそらく類がないんじゃないかと思います。

”言葉が声に乗らない”という表現、大事なことを言おうとすると余計に吃ってしまうこと、”ワカラナインジャナクテ コトバガデテコナイ”という事実、吃音や緘黙の経験者なら、「そうそう!そうなんだよね!」と絶対頷いてしまうと思います。

そういった文章の表現力も含め、自分と関わってきた人達のことを自分なりに観察・分析しながらやり過ごしている洞察力っていうのかな、吃音や緘黙の人の特徴が上手く表現されているなって思います。

著者は吃音のことを「自分の十字架」だと表現していますが、吃音と著者が常に背中合わせで存在し、今までの人生に吃音というモノが膨大な影響を与えてきたことはこの本を読んでみても明らかであり、”十字架”という表現はまさにぴったりだと私も思いました。

私自身も吃音・緘黙などの経験があるので・・・読んでいるうちにいろんなところで気持ちがリンクしてしまい、正直、私にとっては泣ける作品でもありました。高校に退学届けを提出するシーンとかもろもろ私自身には中退の経験はないのだけど、そうなるまでの過程だとか諸々・・・その他にも色々泣けましたが、割愛させていただきます。

吃音などの体験談を読んでいるというより、著者の人生そのものを感じる素敵な一冊に仕上がっていると思います。ノンフィクションなのにフィクションの小説を読んでいるような感覚で読ませていただきました。吃音などの経験がない方でも、言葉が出ない、出にくい、そういう生き方をしている人の気持ちを理解するには打って付けの1冊だと思います。是非、専門家の人達にも読んでいただきたいなって思います。



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日直の時の出来事
以前に何度か書いたことのあるジャージを着た悪魔のようなイメージの
K先生が担任だった小学4年生の頃の話です。

学校では、毎日日替わりで「日直」という役割が回ってくるわけですが、
私が日直になったある日の出来事の話を書きたいと思います。
記憶がちょっと飛び飛びで、曖昧なのだけど・・・・

その日の日直は、私と男の子Sくんでした。
Sくんは緘黙児ではなかったけれど、どちらかといえば地味目で大人しい感じの子。
毎朝行われるホームルーム(当時は、「朝の会」とか呼んでいたような気もします)の
司会は、日直の仕事でした。

この辺から少し曖昧な記憶になりますが、私とSくんも司会をするためにクラスの
みんなの前に立っていました。けれど、なぜか司会は進行していませんでした。
Sくんも私もその場に立っているだけ。なんでそういう状態になってしまったのかは
記憶にないのだけど、うっすら覚えている記憶だと、(私は悪くない)ってずっと
心の中で思っていました。

司会は2人で行うので、順番に発言しながら司会進行をしていました。
だから、次はSくんの発言の番だから、私は言わなくても良いはず。
だから、私は悪くないんだよ!って思っていた記憶があります。
けど、Sくんは何も言わないまま。私も何も言わないまま。時間だけが過ぎてきます。

時々、K先生がSくんに「今、何時?」と聞きます。「9時半です」と答えるSくん。
K先生は、大きなため息を付きながら、私の顔をちらっと睨みつけては、Sくんの顔にも
目をやったり。ふと、「もしかして、私の発言の番だったかも??」なんて不安もよぎったり
したのですが、日直だとはいえ、人前に立たされている私は、緊張しているのか
頭がボーっとしている感じもあって、よく解らない状態になっていました。
ただはっきりしているのは、日直の司会が進まないために時間だけが過ぎていき、
すでに1時間目の授業の時間に突入してしまっているということ。

最終的には、先生がSくんにどちらでも良いから進行しなさいって言ったのかな。
よく覚えてないけど、それから何分か経ってから、やっと司会が進行したのでした。
確か、クラスにある各係の人に、連絡事項があるかどうか係名を指名しながら
確認している時に、頭がボーっとしている私は、「教室係。」と言って指名したのを
覚えています。

・・・「教室係??」

一番手前の席に座っていた子が何それ?という顔をしながら繰り返して言ったので、
私は「ハッ!」と我に返り、正しい係名を言い直したのでした。教室係って何さ?
そんな係は存在しないのに
全く持って、自分でも意味の分からない事態でした。

それにしても、なんで司会進行が途中で止まってしまったのか、未だによくわかりません。
やっぱり私の発言の番だったのかな。その後は、誰から何を言われるでもなく、
無事に過ごすことが出来たのでした。


(2008年1月 微妙に修正を加えました)

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朝日新聞のテレビCM
今回は、体験談はお休みして、最近思うことを書きたいと思います。

私が最近気になること。それは、朝日新聞のテレビCM。朝日新聞では、「言葉のチカラ」をテーマにしていて、「言葉には人を救ったり、勇気を与えたりするポジティブな力もある。だから、朝日新聞は言葉の力を信じている」ということで、朝日新聞社の決意を世間に伝えているものらしい。テレビCMでは、さまざまな人達がさまざまな場所で言葉のチカラを伝えてきます。

「言葉は未来」 「言葉は思い出」 「言葉は救い」

「言葉は勇気」 「言葉は夢」 「言葉は翼」 「言葉は希望」・・・




私も思います。言葉には、実に不思議なチカラが秘められています。言葉に救われたり、励まされたり・・・私自身も経験しているけれど。

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るい

Author:るい
場面緘黙・複数の恐怖症・吃音などの経験を持つ主婦。タイトル下の文にある「中間族」とは、自己診断で場面緘黙・恐怖症と知りつつも治療を受けるほどではなく、かといって世の中を上手く渡れない、そんな中間の立場で生活している自分を例えた言葉。知らない場所・空間の中にいるのが苦手。人や環境に慣れるまでに時間が掛かり、その間は会話がなかなか成立しない為、第一印象で「大人しい・根暗・変な人」と思われがち。基本的に面白いこと大好きな明るい性格。慣れればよく喋りますが、文字の方が自分を出せてる気がします。喋るより書く方が好き。

★息子(ゴン)の紹介・・・今春から高1の15歳。運動苦手・勉強苦手・生真面目・大人しいという性格上、未就学児の頃から小学卒業まで嫌がらせなどのトラブル多数。小5、小6の2年間、学級・学年崩壊を経験。嫌がらせ・いじめ・暴力による怪我やトラブルが日常的に。クラスが落ち着き始めた頃、元友達からのストーカー行為により、ストレス性胃炎での遅刻、欠席が頻繁に。区域外の中学で心機一転、すぐに友達も出来、順調に思えた中1の5月、左足不随をきっかけに不登校に(後に心身症と判明)。同7月、WISC-IVでLDと判明。発達性協調運動障害の傾向も。約1年間の通院・カウンセリングを経て徐々に登校日数が増え、中3は欠席ゼロで中学を卒業。推薦入試で第一志望の高校合格をゲット。現在は元気に通学中。

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