*All archives* |  *Admin*

2006/05
<<  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  >>
ヤスコのこと
今回は、ヤスコ(仮名)のことを書きたいと思います。

ヤスコと初めて会ったのは、私が4,5歳の頃かな。岩手にある私の実家の前には、車がやっとすれ違うぐらいの道路を挟んで、畑が広がっていました。その畑は、冬場は使われていないのですが、夏場は家畜用のトウモロコシが所狭しと育てられ、収穫の頃には、その畑の持ち主Fさん一家がやって来て、忙しそうに働いていました。そのFさん一家の娘さんがヤスコでした。

私の母が言うには、ヤスコは私と同い年とのことで、私もいつしかヤスコが家の前の畑に来るのが楽しみになっていました。子供の少ない田舎のことだから、同じ子供ということで意識してたのかもしれません。

経緯はわからないけど、ヤスコと家の前で一緒に遊んだ記憶があります。私が覚えているのは、私がどういうわけか骸骨の手足が動くキーホルダー(そんなにリアルじゃないやつ)を持っていて、それをヤスコと一緒に動かして遊んだ記憶があります。会話した記憶はないですね。なんとなく雰囲気でお互い近づいて、一緒にそこにいたって感じでしょうか。Fさん一家が畑で働いている間だけ、しかもほんの短時間しか一緒に遊べないのだけど、それでも、畑仕事のある日は会うのが楽しみでした。

ヤスコは色黒で痩せていて、畑の手伝いをしているせいか、手、足、顔、服、全部土まみれだったような記憶がありますね(笑)私の母は、ヤスコのことを「土だらけで汚い子だ」と言っていました。でも、私はそんなヤスコが羨ましかったな。私は子供の頃から神経質で、ちょっとでも汚れるのを嫌っていたので、全身土だらけになったことがなかったから。真っ黒な姿で、笑うと白い歯が目立っていたのがとても印象的でした。

畑仕事がある時にしかヤスコとは会えなかったので、その年の畑の仕事が終了すると、私とヤスコは来年のこの季節まで会えなくなるのでした。今思えば親に聞けば、ヤスコの自宅がわかったのかもしれないけれど、こちらから会いに行くほどの行動力は私にはなかったし、ヤスコに対しての思い入れもそんなにはなかったのかな。

こういうヤスコとの関係が2年ほど続いた後、私は保育園に入園しました。保育園でヤスコに会えるかなと思ったのですが、ヤスコは家庭の事情で保育園には入園しなかったのでした。もしかして、ヤスコが保育園に入園していたら、私は緘黙を発症しなかったのかなっていう気もするのですが。。。

結局、私が園児だった1年間は、私が日中のほとんどを保育園で過ごしていたため、夏場に畑に来ていただろうヤスコには会うことが出来ませんでした。私は私で入園を気に場面緘黙を発症してしまったので、もしヤスコに会えてたとしても、前みたいに遊べなかったのかもしれませんが。

翌年、私は保育園を卒園し、小学校へ入学しました。ヤスコは?ヤスコも入学してる??特別執着はしていないつもりだったのだけど、ヤスコの姿を探している自分がいたのでした。

いた!ヤスコはいました!

私と同じ小学校に、ヤスコは同じ小学一年生として入学していました。けれど、嬉しかったのは束の間。久しぶりに会ったヤスコは、私のことには全く気付かずに、他の女の子達と楽しそうにしていたのでした。私は小学生になっても緘黙症状を引きずったまま。なので、ヤスコに対してなんのアクションを起こすことなく、起こせるわけもなく、月日は流れたのでした。

お友達が「ヤスコーーー!!」と遠くからヤスコを呼ぶ声がします。「な~に~ーーー!!」と応えるヤスコ。学校での何気ない光景。

私だって、心の中でいつもヤスコのことを呼んでいたんだよ。ヤスコのことは、みんなよりも先に私の方が知っていたんだよ。ヤスコの小さい時も知ってるんだよ。私の方がみんなより先にヤスコと友達になったんだよ。

声にならない私の声。
ヤスコを学校で見るたびに心の中で思っていた私の気持ちは、そのうちただの言葉になり、ただの文字の羅列になり、そして、いつしか私の心は無心になっていました。なんの行動も起こせない私は、心を無にするしかなかったのでした。

ヤスコとは中学まで同じ学校だったのだけど、結局言葉を交わす機会もなく、今に至ります。最後に会ったのは、二十歳の成人式の時。田舎なので、夏の成人式だったのですが、ヤスコは1人だけ振り袖を着て会場に現れ、注目を浴びていました。

カメラを向けられ、色黒の肌に白い歯をにっこりと出して微笑んでいるヤスコ。あの時、私と遊んでいた時のように。あの時と違うのは、ヤスコの中には私の記憶が全くないっていうこと。ヤスコのことは、私の心の奥にしまっている遠い思い出です。

(2008年1月 微妙に追記・修正を加えました)



☆ブログランキングに参加しています。 ポチッと応援よろしくお願いします。


テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

K先生の思い出(3)
さて、ジャージを着た悪魔のようなイメージ(笑)のK先生の思い出話の続きです。

夏休みが明けてすぐの日、私は宿題を1つ忘れたまま学校へ行きました。それは、漢字の練習ノートだったのですが、全部の宿題を全てやったつもりでいた私は、休み明けの前日に初めてその宿題に気付き、慌ててやり始めたのだけど、一日で終えるような量じゃなかったんですね。

学校へ行く当日の朝にも半泣きになりながら書き続け、私が朝ご飯を食べる時には母親が代わりに漢字を書いてくれたりして(笑)、ギリギリまで頑張ったのだけどやはり終わらず、考えた末、この宿題はノートを忘れたために先生に提出できないということにしよう、と思いついたのでした。そして、そういう計画を実行すべく、私は登校したのでした。

学校では、始業式を終え、教室に戻るといよいよ宿題の提出が順に行われました。私は内心ドキドキいよいよ、漢字の練習ノートの提出の番が来ました。先生が他の宿題の時と同様に、「忘れた人~」と宿題を忘れた人の挙手を求めました。私を含め、数人の手が上がりました。(私だけじゃなかったのね)なぜ忘れたのか、先生が1人ずつに理由を聞くんですよね

・・・ ドキ ドキ ドキ ドキ (私の心臓の音)・・・・

いよいよ、私の番が来ました。

先生 「どうしたの。」
 私  「ノートを忘れてきました。」
先生 「家に帰れば(宿題は)やってあるんだな?」
 私  「はい。」
先生 「本当だな?」
 私  「はい。」

・・・・・私への尋問終了(笑)

私は無表情で淡々と応え、先生は私の目を睨んでいるかのように見ながら、質問してきましたが、どうやら私は嘘をついていないという判断を下したようです。私の作戦勝ちか!?

この日は午前中で終わりの日だったんだけど、帰りのホームルームの時間、先生は、「今日、宿題を忘れた人は、後で独身寮の私の部屋まで宿題を提出しに来ること!」と言ったのでした。独身寮とは、その名の通り、この地域に赴任している独身の先生方のための建物なんです。簡単に言えば、独身の先生だけが住めるアパートのことなんですけど。そこへ宿題を持ってくるようにという指令をK先生は出したのでした。

私は急いで下校して、宿題の漢字練習をやろうと思ったのですが、たぶん、母親がやってくれたんでしょうね、漢字練習のほとんどが終わっていたんです。ありがたや・・・なので、私は残りの漢字練習をあっという間にやり遂げ、まるで本当に最初から宿題をやってあったかのような速さで、先生の独身寮の部屋までそのノートを届けに行ったのでした。

先生の部屋の前に到着。ちょっとドキドキ。「ピンポーン」とチャイムを鳴らしてみると、「はーい」という甲高い声。すぐにK先生がドアを開けました。学校では滅多に見せない笑顔、しかもエプロン姿で。に、似合わない・・・と思いつつ、宿題のノートを無言で差し出す私。

先生 「あ、持ってきたのね。」
 私  「・・・(頷く私)」
先生 「お昼ご飯は食べたの?」
 私  「・・・(首を横に振る私)」
先生 「じゃあ、早く帰って食べなさい。」
 私  「・・・(頷く私)」

なんか、最後の辺はあやふやでよく覚えてない。けど、学校での姿と違うK先生の一面を見られた貴重な体験だったのは確か。K先生って女の人だったんだってその時本気で思いました。

母親の協力もあって、なんとか私の作戦は成功を収めたのでした。宿題をやってないと気付いた時には、本気で焦りました。母親もこの時のことをしっかり覚えていて、今でもたまに思い出しては、私を見て笑ったりしてますね(笑)今では笑い話だけど、当時は(宿題をやっていない=K先生に殺される)と思っていました(笑)他の生徒が竹刀でばちばち叩かれていたのを何度も見ていましたので。普段から恐怖のオーラを放っているK先生だったのでした~。

今こんな教師がいたら、きっと保護者は黙っていないでしょうね。

(2008年1月 微妙に追加・修正を加えました)



☆ブログランキングに参加しています。 ポチッと応援よろしくお願いします。


テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

空想好き
今思うと、私が小学生の頃って、かなりの空想好きだったように思います。私が一番覚えているのは、動物に心の中でよく話掛けていたんですね。私が小学生の頃って、集団登校なんてのはなくて、みんなバラバラに登下校していたのですが、私は大抵1人で下校していました。

1人で黙々と歩いていると、周りの景色や鳥や虫なんかに目がいくわけです。それで、私は心の中で話しかけるんです。畑で飛び回っているスズメに、(今日も元気だね)とか、(そっちに行ったら危ないよ)と言ってみたり、向こうから1匹で散歩している犬が歩いてきたら、(こんにちは!)とか。その頃の私は、動物や虫と話が出来たら楽しいだろうなってずっと思っていました。友達みたいに動物や虫と話がしたい。それが私の夢でした。

それから、風にも話しかけていましたね(笑)私は岩手の出身なので、子供の頃って冬は結構厳しいところだったのですが、吹雪の時なんか、風の音がゴオゴオとすごいわけです。その風の音には名前があって、子供の頃に『風のシンジュウロウ』だと誰かに教わりました。(たぶん親が教えてくれたんだと思うんだけど、子供の頃に聞いたので正直、本当に「シンジュウロウ」だったかはあやふやなのですが・・・)

学校の帰り道なんか、吹雪みたいにすごい風の時があったりしたのですが、ゴウゴウと吹き付ける風に向かって、心の中で(シンジュウロウ!少しで良いから止まってくれ!)なんて叫ぶわけです。そうすると、一瞬風の向きが変わって歩きやすくなったりして、(話を聞いてくれてありがとう!)なんてまた言ってみたり。1人でそんなこととかやってましたね(笑)

虫や動物と話がしたい・・・それは大人になった今でも叶えられてませんが、私が大人になった今でも、虫に抵抗無く触れたりするのは、そういう子供の頃の名残なのかな?なんてちょっと思ったりしています。自然が好きなのも、もしかしたら子供の頃にこんなふうに親しみを感じていた名残なのかなとも思います。単に、田舎で生活していたからかもしれませんが(笑)

大人になってからは子供の時ほどに「虫や動物と話がしたい!」とは感じませんが、子供の頃にたくさん虫や動物との対話の空想をしていたせいか、日常生活で、誰かが話しているのを聞いていて、「もし今、私が『~だよね』と話し掛けられたら」という設定で、自分の中で会話のシュミレーションをすることはよくありますね。その場で実際に話し掛けられることは、ほんとに稀なのですが、頭の中でシュミレーションをしていたおかげで、本当に話し掛けられた時に、すんなり会話ができた、なんてこともあります。普段は口下手なうえ、急に話しを振られてもアドリブで答えられないことの方が多いので、頭の中で会話のシュミレーションをするっていうのは、結構良い方法なんじゃないかと思っています。

空想して会話するのは、時間潰しにはもってこいです(笑)空想していることを口に出して呟くのは、変人扱いされるのでNGですが(笑)


(2008年1月 微妙に追加修正を加えました)



☆ブログランキングに参加しています。 ポチッと応援よろしくお願いします。


テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

K先生の思い出(2)
さて、ジャージを着た悪魔のようなイメージ(笑)のK先生ですが、私だけではなく、
クラスのみんなもやはり先生に対してものすごく怖いイメージを抱いていたようです。
ちょっとしたことでも、先生の意に反したことをすれば怒鳴られるのではないかという
恐怖感が常に教室内には漂っていました。

ある日の授業中でのこと。
私はいつものように先生が黒板に書いていることをノートに書き留めていました。
そして、ノートを次のページへとめくった瞬間、「あ!!」

・・・・ノートが無い

今思えば大したこと無いのですが、その時は一大事でした。
なんせ、細かいことにうるさいK先生のことなので、私が違うノートに書いていることが
ばれたら、「なにやってんだ!!」と怒鳴られそうな気がしたのです。

私のノートが無くなったことに気付いた周りの席の子も、やはり先生が怒ると感じたの
でしょう、こっそり私に、「先生のところに行って、『別のノートに書いて良いですか?』って
聞いてくれば?」とアドバイスしてくれました。私もやはりそれしかないか、と腹をくくり、
自分の席を立って、黒板になにやら書き続けているK先生の側まで行ったのでした。
そして、勇気を出して聞いたのでした。

「先生、ノートが無くなったので、別のノートに書いてもいいですか?」

その時の先生の返事はこうでした。

「それぐらい、自分で考えろ!!


・・・・そりゃ、そうだ(笑)
私は迷うことなく、別のノートを堂々と使ったのでした
今の私だったら、当然のようにさっさと別のノートに書くんでしょうけど、当時は、
こんなくだらないことにまで先生に気を遣わなければならないほど、先生の脅威は
すごいものでした。ここまで親しみを感じない先生は、後にも先にもK先生だけでした。

他のエピソードは後ほどUPしますね



☆ブログランキングに参加しています。
 記事の内容に共感して下さる方は、ポチッとお願いします。



テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

K先生の思い出(1)
今までの私の場面緘黙の体験談に何度か出てきたK先生。
K先生は女の先生で、私の小学4年生の時の担任でした。
新卒で先生になって初めて受け持ったクラスが私の所属していた4年生の
クラスだったことを記憶しています。

顎は細く、目はつり上がった二重、髪の毛は全体的にくるくると緩いパーマをかけていて、
背はそんなに高くはなかったけれど、歩くその後ろ姿は、肩が怒っていて、
O脚なのにガニ股で、私にはジャージを着た悪魔のようなイメージでした。
(すごい表現だ(笑))

忘れ物にはとても厳しく、宿題や用具などの忘れ物をした人は、教室の一番後ろに
後ろ向きで並ばされ、お尻を出させて、竹刀で1人ずつ叩いたりしていました。
(私は運良く叩かれたことはありませんでしたが・・・)それは、男女関係なく
行われていました。子供ながらに、(そこまでしなくてもいいんじゃないの?)なんて
思ったりして、密かに心の中で反発していたのは確かです。
そういう密かな反発心を読まれたのかもしれないけれど、私はK先生には目の敵に
されていたように思います。いや、それはおそらく気のせいではなくて、確かに
そう感じていました。

当時は思いつきませんでしたが、今思えば場面緘黙で一筋縄ではいかない私の
存在が邪魔だったのかななんて思います。なんせ、新任の先生だったし。

長くなりそうなので、続きは後ほどUPします



☆ブログランキングに参加しています。
 記事の内容に共感して下さる方は、ポチッとお願いします。



テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

訪問ありがとうございます☆
online☆
現在の閲覧者数:
最新の記事☆
最近のコメント☆
  • 10/27:るい

  • 10/26:小林 一弘

  • 10/13:るい

  • 10/06:小林 一弘

  • 10/06:るい

ブログ・ランキング☆
いつもありがとうございます♪





プロフィール☆

るい

Author:るい
場面緘黙・複数の恐怖症・吃音などの経験を持つ主婦。タイトル下の文にある「中間族」とは、自己診断で場面緘黙・恐怖症と知りつつも治療を受けるほどではなく、かといって世の中を上手く渡れない、そんな中間の立場で生活している自分を例えた言葉。知らない場所・空間の中にいるのが苦手。人や環境に慣れるまでに時間が掛かり、その間は会話がなかなか成立しない為、第一印象で「大人しい・根暗・変な人」と思われがち。基本的に面白いこと大好きな明るい性格。慣れればよく喋りますが、文字の方が自分を出せてる気がします。喋るより書く方が好き。

★息子(ゴン)の紹介・・・今春から高1の15歳。運動苦手・勉強苦手・生真面目・大人しいという性格上、未就学児の頃から小学卒業まで嫌がらせなどのトラブル多数。小5、小6の2年間、学級・学年崩壊を経験。嫌がらせ・いじめ・暴力による怪我やトラブルが日常的に。クラスが落ち着き始めた頃、元友達からのストーカー行為により、ストレス性胃炎での遅刻、欠席が頻繁に。区域外の中学で心機一転、すぐに友達も出来、順調に思えた中1の5月、左足不随をきっかけに不登校に(後に心身症と判明)。同7月、WISC-IVでLDと判明。発達性協調運動障害の傾向も。約1年間の通院・カウンセリングを経て徐々に登校日数が増え、中3は欠席ゼロで中学を卒業。推薦入試で第一志望の高校合格をゲット。現在は元気に通学中。

☆来訪された皆様へ☆
当ブログはリンクフリーです。報告していただけると大変喜びます。★家族に内緒で開設しているため、家族が家にいる日は基本的に記事更新・コメントへの返信がほとんど出来ませんのでご理解ください。★当ブログ内の文章・画像などは無断で使用されないようお願いします。★宣伝やネットマナーに反するもの、私の嫌いな言葉遣いのコメントは管理人の権限で予告なく削除となりますのでご理解ください。
カテゴリー☆
緘黙仲間&お友達☆
月別アーカイブ☆
ブログ内検索できます☆
amazon