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2006/03
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早死に志願
ちょっと奇抜なタイトルですが、お許し下さいm(__)m

実は私、小学生の頃、『早死に志願者』でした。当時、現役の緘黙児でもあったわけですが、そんなに辛いとか悲しいとか、そういうことはほとんど記憶にないんですね。けれど、ふとした時に沸き上がる感情、それが”早死に志願”でした。

緘黙児でしたから、学校で遊んでくれる友達は1人もいませんでしたが、帰宅後、一緒に遊んでくれる近所の友達は数人いました。時々、一緒に遊んでいる近所の友達に、「あ~、早く死にたいな~」なんて言っていた記憶があります。よく遊んでいた2歳年下の女の子は、「そうだよね~」なんて、私の言うことに同調してくれていましたが、おそらく深い意味もなく私に相づちをうっていただけだろうとは思います。

なんでそんなに早死にしたかったのか。今となってはわかりませんが、子供ながらに現状から抜け出したい・逃げ出したいという気持ちの表れだったのかなとは感じています。いつの頃からか、気が付いたらそんな気持ちはなくなっていました。たぶん、同級生の
中に友人と呼べる人が出来た頃、そんな気持ちはすっ飛んでいったのかもしれません。心のすき間を友人が埋めてくれたのだと思います。

多感な時期には、時折、訳もなく沸いてくる感情もあるのかもしれませんね。ふとした衝動にとらわれることなく、その気持ちが消えてしまったことに関しては良かった~と思っています。今ですか?今は、病気ではなく老衰でこの世を去るのが目標です(笑)


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テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

私を笑わせる
私が小学5,6年生の頃だったと思います。

相変わらず学校では沈黙を保っていた私ですが、5,6年生の頃に同じクラスメイトの女の子と親しくなり、多少ですが学校でも時々声は出さずにニッコリと笑顔を出したり出来るようになっていました。

そんなある日のこと。同じクラスの男の子2、3人が席に座っている私の前にやってきて、変な顔や変なポーズをしたりして私を笑わせようとし始めました。最初、冷静な表情を保っていた私でしたが、何かの拍子に、声は出しませんでしたがついに笑ってしまいました。まじめな顔をしている私が急に笑顔になるのが楽しいらしく、男の子達は、代わる代わる、「次はオレの番!」などと言いながら変顔とかしてきます。一度、笑ってしまうと我慢が効きにくくなり、ついつい笑ってしまう私。男の子達からは、「笑うところが良いよね~」などと言われる始末。

そんな様子を見ていた同じくラスの女の子数人が近寄ってきて、「ほら、笑わないで!」「我慢して!」と私に言い始めました。けれど、一旦、笑いの壺に入ってしまった私は、笑うのを我慢しようとしてもついつい笑ってしまいます。するとなぜか、「るいさんは、○○○くんのことが好きなんだよ、きっと。」とか言い始め、ぷりぷり怒ってどこかへ行ってしまいました。全く意味が分からないのですが(^_^;)今思えば、その女の子は、私を笑わせようとしていた男の子のことが好きだったのかもしれませんね。


話は反れますが、そんなことがあった数年後、テレビで「あっぱれさんま大先生」を見ていた時、似たような光景を目にしました。生徒でなおみちゃんという大人しい女の子がいたのですが、裕太くんの提案で、「なおみちゃんを笑わせよう!」というような企画があり、なおみちゃんをイスに座らせて、みんなで変なポーズや変な顔や、いろいろやっているのを見て、「私の時と同じだな~」と思いながら見た記憶があります。あれって、見方によってはいじめですよね。本人が嫌がっているかどうかっていうところが境目ですが。

ちなみに、なおみちゃん曰わく、なんで黙っているのかというさんまさんの質問に対して、「周りがテレビに出ている人だらけで、すごいな~と思って緊張する」というようなことを話していました。さんまさんは「自分だってテレビに出てるじゃない!」と突っ込んで
いましたが(^_^;)同じ出演者の子の情報によると、楽屋ではべらべらとおしゃべりしているとのことでした。なおみちゃんは今頃、どうしているのかなと思う時があります。彼女ももしかしたら場面緘黙の傾向があったのかもしれませんね。

(追記:2006年12月にテレビで「あっぱれ」のミニ同窓会があったのですが、そこで見たなおみちゃんは、やっぱり大人しかったかな?でも、立派なママになっていて、なんだか嬉しかったです。その時の番組の様子は、「こちら」



(2017年2月、微妙に追記・修正を加えました。)


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何も言わない人のお姉さん 
私が小学1年生の時の話です。

私には5つ違いの姉がいるのですが、私が小学校に入学した時、その姉は小学6年生でした。同じ校内に兄弟姉妹がいると、「あの人は○○の弟」だとか「○○のお姉さん」だとかいつの間にか知られているんですよね。

ある日、学校から帰ってきた姉が母親に話しているのを聞きました。

「今日ね、『何も話さない人のお姉さんだ』って言われた。」

私はなんとなくその場をすぐに離れたので、その後母が姉に何と返答したのかはわかりません。けれど、「何も言わない人の・・・」という言葉が私の心の中にずっと残り、リピートしていたのでした。言われた姉はどんな気持ちだったのだろう。それを聞いた母もまたどんな気持ちだったのだろう。

当時の私は、それ以上のことは考えませんでした。それほど気にしていなかったのか、そういうことがあったという事実を自分の中で抹消しようとしていたのか・・・どちらかだろうとは思います。あえて気にしないようにしていたのかも。けど、もやもやした気持ちになったのは確かでした。

自分は他の人と何か違うぞ?と客観的に感じた瞬間でもありました。この頃に自分が場面緘黙症だと気付いていたら・・・何か違った未来があったのかもしれませんね。


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『トビラノムコウ』
私のブログからもリンクさせていただいてる、きりんさんが本を出版されましたので、この場を借りてご紹介したいと思います。

トビラノムコウ
トビラノムコウ山下 康代

マキノ出版 2006-03-14
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新刊本『トビラノムコウ』

写真・著/山下康代
発行/株式会社マキノ出版
装丁/山田満明
発行定価/本体¥1300(税込¥1365)
体裁/46判上製・328頁
出版/3月15日(水)

~あらすじ~

長い間、深い海の底へ閉ざされていた記憶が今、ここによみがえる。

緘黙、いじめ、喘息、自閉、登校拒否、高校中退、引きこもり、セックス依存、リストカット、 自殺未遂、 精神科病棟…。
「吃音(どもり)」という十字架に囚われた「私」がホントウに欲しかったものとは、いったい何なのか? 未完成のパズルを一冊の本にまとめ上げた時、「私」はようやくトビラノムコウへの第一歩を踏み出す。

もし、あなたの娘が、妻が、暗くて長いトンネルの中へ迷い込んでしまったとしたら・・・? もし、あなた自身が、深い沼の底へ引きずり込まれてしまうとしたら・・・アナタハ、ドウシマスカ?ナニガデキマスカ?

紀伊国屋書店、ジュンク堂書店、丸善、文教堂、八重洲ブックセンター等、全国書店の他、Amazon.co.jpやセブンアンドワイ、楽天ブックス等オンライン書店でも発売中!

※追記※
この本の出版によって私個人が得た収入(印税)は、吃音や弱視、難聴、心の病など、見た目には分からない障害や症状、病気を抱えた人達がこの世で少しでも生きやすくなるために身につける「マイノリティー・マーク(仮称)」、及び彼らを手助けしたい人達が身につける「マイノリティーサポート・マーク(仮称)」の開発費用に利用させていただきます。
詳細はこちらまで⇒http://www.geocities.jp/minority_net/

山下康代kumakumaheart-0810@yahoo.co.jp

(本の詳細は、きりんさんのHP「マイノリティー☆サポート」より引用しました)

きりんさんは、緘黙の経験者でもあり、そのことも著書の中で触れているようですので、この場で紹介させていただきました。実名で自分自身をさらけ出した、勇気ある出版です!私もまだ読んでいないのですが、近々入手して読もうと思っております。同じ緘黙経験者として、見逃せない1冊だと思っています。(注:回し者ではありません(笑))

尚、きりんさん本人も書いていましたが、この本で得た収入は、「マイノリティー・マーク(仮称)」、「マイノリティーサポート・マーク(仮称)」の開発費用として利用されます。このマークの意図は、きりんさんの日記(3/10分)に書いてあります。このマークに少しでも賛同される方は、本の購入を検討されるよう、私からもお願いします。



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家庭訪問にて 
小学6年生の時のこと。

家庭訪問がありました。担任は、5年生から同じ男の先生。家庭訪問では母親と先生が面談し、無事に終了。後から母に、「なんか言ってた?」と聞いたら、「『るいさんは、怖い』って言ってたよ」と言われました。先生が私を怖がっている?・・・少し思い当たる節がありました。

担任の先生は、私に対しても他のクラスの子と同様に接してくれていました。先生とクラスの生徒が教室でふざけて遊んでいることがよくあったのですが、教室の隅でその様子を眺めているだけの私にも、時々ちょっかいを出してくるのでした。それが当時の私にはとてもうざくて、くすぐるマネをしてくる先生をキッとにらみ、手を払いのけていました。今思えば、反抗期だったのかなあ?とも思うのだけど。

先生にしてみれば、遊びの輪に入るきっかけを与えてくれていたのかも。とにかく、なんだか知らないのだけど、とてもウザイ存在だったのでした。そういう気持ちで先生を見ていたので、たぶん、先生を見る目がかなりきつくなっていたのかもしれません。先生に怖がられた理由はそれだけではないのかも知れないけれど・・・・今となってはそれを知る術はありません。

ちなみに、この先生は私が中学生の時に他校への異動が決定したのですが、当時の小学校の父兄にとても支持されていたらしく、異動を取りやめるように父兄が働きかけていたりしました。そんなに良い先生だったのかなあ?緘黙児の私にも平等に接してくれていたところを見ると、良い先生だったのかもしれません。当時の私には実感はなかったのですが(^_^;)



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お別れの印
小学6年生の頃、同じクラスの中にとても仲良くしてくれる女の子Nちゃんがいました。私が声を発しないのを気にしてないような感じで、いつも話しかけてくれました。私は、笑顔を出したり首振り動作で受け答えをしていました。

卒業間近となったある日、図工の時間で紙粘土を使った授業をしていました。Nちゃんは私に、「卒業の記念にあげるね」と言って、紙粘土で作った女の子の人形をくれました。きちんと色も塗ってあって、綺麗に仕上げてありました。私は、それを笑顔で受け取ったのでした。

小学校を卒業し、中学生になりました。エスカレーター式にみんな同じ中学へ進学。クラス発表があり、Nちゃんと同じクラスになったことを知りました。入学してすぐのある日、私はNちゃんとお話をしようとNちゃんの席に行きました。今までだったら話しかけてくれていたはずのNちゃんに、なんの反応もありません。じっと前を向き、私の顔を見ようともしないのです。

私はNちゃんの机の横に10分ほどたたずんでいたでしょうか。その間、ずっと無視され続け、そのまま何もないまま私は自分の席に戻ったのでした。自分は捨てられたのだ、と感じました。それは本当に突然でした。けれど、なぜかそんなにショックではなかったのです。もともと誰にも相手にされないことに慣れていた私は、Nちゃんと仲良くなる前の状態に戻っただけだったのだから。

Nちゃんにはその後、親しい友達が出来て楽しそうでした。小学校卒業記念にNちゃんにもらった人形は、もしかしたら彼女からの
”お別れの印”だったのかもしれません。その人形は、実家のどこかに眠っているはずです。なぜか捨てられない思い出です。


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名前の由来
私の名前は、母が名付けてくれました。

小学生の頃、学校の宿題で「自分の名前の由来を聞いてくる」という宿題が出されました。それまで自分の名前の由来なんて考えたこともなく、その時初めて名前の由来を知りました。

その昔、母の知人でとても器量が良く、憧れていた女性がいたとのこと。その人のように素敵な女性になって欲しい。そういう願いを込めて、母はその人の名前をそのまま私に付けたのだそうです。姉の名前は父親が酔っぱらった勢いで付けたのに対し、私の名前は唯一、母が付けてくれたらしいので、感謝しています。

私の名前の由来となったその女性については、私はその人について名前が同じだということ以外、全く知りません。 その人のフルネームもどこに住んでいたのかとか、母とどうやって知り合ったのか等々。機会があれば是非、母に聞いてみたいと思っています。

さて、学校でこの宿題を発表するはずだった授業中、先生は机の並び順に指名していき、みんなそれぞれ自分の名前の由来を発表していったのですが、私の番になると先生は、「るいは発表しなくていいから。名前の漢字を見ればすぐにわかるから。」と言い、私の名前に使われている漢字から名前の由来を先生が勝手に決め付けて発表し、結局、私は発言することなく後ろの席の人へ順番は移ったのでした。

先生が推測で発表した私の名前の由来は、当然のことながら全く違っており、私は内心、「勝手に決めつけるな!!」と憤慨したのですが、緘黙だったため文句も言えず、そのまま今に至ります。この時の担任の先生にはこの時以外にも何かにつけて私に対して嫌がらせ的な態度をとっていました。悔しかったので、今でも先生の名前をフルネームで覚えています。この先生との間にどんなことがあったのかは、追々思い出したら書きますね。(ちなみに、K先生といいます)


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○○ちゃんのためならエンヤコラ
小学3,4年生の頃の話。

クラスにKくんという男の子がいました。Kくんは、Rさんのことが好き。そのことは、なぜかクラスのみんなが知っていて、時折、Kくんのことをみんなで茶化すのでした。

Rちゃんがちょっと転んだり、困った様子をみせると、Kくんは「大丈夫?」とすぐに駆け寄って来ます。そうすると、周りにいるクラスの子達が待ってましたとばかりに節を付けて歌い出します。

「Rさんのためなら、エーンヤコーラ!」

Kくんは、まんざらでもない様子でRさんの心配をしています。すると、続けてみんなが歌い出します。

「るいさんのためなら、エーンヤコーラ!」

すると、Kくんは目の色を変えて歌ったクラスメイトめがけて怒り出します。これがいつものパターン。Rさんの比較対象人物として、なぜかいつも私が使われていました。当時、私とRさんが背格好が似ていた、というのもあったでしょう。けれど、Rさんが魅力ある人間の代表として扱われ、私が魅力のない誰もが嫌う人間の代表として利用されていたように思います。

今でも時々このことを思い出します。けれど、学校で感情を押し殺して過ごしていた私には、怒りの感情も悲しい感情も沸いてきません。学校にいる私は、本当に魅力にない人間らしくない存在だったのでしょうね。

一体誰が最初にこんな風に歌い出したのかはよくわからないのだけど、気が付いたらみんな歌ってましたね。当時は、このことをいじめだとは思わなかったのだけど、よく考えてみたらこれっていじめの一種だったのかな?今となってはわかりません。


追記:この歌の元になったものは、美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」だったようです。大人になってから知りました。

ちなみに、「ヨイトマケ」とは、建築現場などで、地ならしのために大勢が一斉に鎚(つち)を滑車で上げ下げすること、もしくは、そういう作業をする人、とのこと。この歌は、美輪明宏さんが1966年に作詞作曲したもので、女手ひとつで自分を育てた亡き母を回顧する歌なんだそうです。歌の中に、こんな歌詞が出てきます。

子どものこ頃に 小学校で
ヨイトマケの子ども 汚い子どもと
いじめぬかれて はやされて


なんだかこの歌詞と、私がこの歌の替え歌で囃し立てられていたことがリンクして、なんとも言えない気持ちですね。いずれにしても、私自身が馬鹿にされていたことは確かでしょう。大人になってから気付いた、事実でした。




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「火の神の登場です」
小学6年生の頃の話です。

私は学校の図書委員だったのですが、学校行事のクリスマス会の司会を、図書委員を含む複数の委員が担当することになりました。当然、年上である6年生を中心にクリスマス会の司会を担当することになりました。

当時バリバリの緘黙児だった私は、プライベートな発言は一切出来ませんでしたが、授業中の発言や教科書の朗読など、必要とされている発言はなぜか出来たので、クリスマス会の司会の練習はなんとかこなしていました。

そうして数日後、本番です。飾られた体育館に小学1年生から6年生までの全校生徒と先生方全員が集まりました。生徒達はクラスごとに、全体でコの字型になるように整列して座り、司会である私を含めた数名は、体育館の斜め前方に整列。いよいよクリスマス会は始まりました。

司会は6人ほどいたのですが、それぞれ進行する箇所が分担されていて、交互に発言するような感じで進行していました。クリスマス会も中盤になり、生徒達も楽しんでいるようで体育館もざわざわと騒々しい雰囲気になっていました。ここで、私の発言の番が来ました。「火の神の登場です。」という私の一声で、体育館入り口に控えていた火の神役の子が、入場することになっていました。

「火の神の登場です!!」私は大きな声で言いました。けれど、火の神は現れず。もう一度言いました。「火の神の登場です!!」けど現れない。大きな声で言ったはずの私の声は、騒々しい体育館にかき消され、火の神が隠れている体育館入り口までは聞こえないようなのです。火の神役の子も、その側にいた先生も、「まだ呼ばれないのか?」という表情でこちらを伺っています。

私はまた言いました。いや、叫びました。「火の神の登場です!!」立て続けに叫んでみたのですが、それでも聞こえないようです。普段声を発しない学校で、しかも全校生徒の前で、それも大声で言い続けた私は少し疲れてしまい、その場で小さいため息を付きました。その時、私のすぐ隣にいた同じ司会のクラスメイトの女の子が私に言いました。

「何ため息ついてんの?早く大声で言ったらいいじゃない!」

私はそのクラスメイトの言葉にびっくりしました。というのは、自分が今まで言っていた声は、ずっと声になっていなかったのか?という不安な気持ちでいっぱいになってしまったのです。頭の中は体育館のザワザワした騒音で一杯になり、私自身が今声を出しているのかいないのか自分で判断がつかなくなってきて、もうセリフを言うことが出来なくなってしまいました。今考えると、軽いパニックを起こしたんだと思います。

今まで進行していたクリスマス会はここに来て急に進行しなくなり、体育館も今までとは違う意味でざわつき始めました。そこで、やっと異変に気付いた先生が急いでマイクをセッティングし、私はそのマイクを通してようやく火の神を呼ぶことが出来たのでした。そう。ずっと司会進行は生声でやっていたのです。私はマイクを見て、「あるんなら最初からマイクでやらせてくれれば良かったのに!!」と思ったのでした。

後日、私より2つ下の同じ小学校に通うの近所の友達に、「私が何回『火の神の登場です』って言ったか知ってる?」と聞いてみると、「3回でしょ?」と答えました。そう。私の声はちゃんと周りの児童には届いていたのでした。ただ、体育館入り口の火の神には聞こえなかっただけだったのです。私はそれを知って、自分の声はちゃんと出ていたんだ、とやっと安堵したのでした。今思い出しても、とても嫌な思い出。今だったら文句の1つも言ってやるのにね。全く楽しめないクリスマス会でした。



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「消しゴム、貸して」
私が小学4年生の時の話です。

いつものように授業を受けていたのですが、字を間違えて消そうと思った時に、自分が消しゴムを家に忘れてきたことに気付きました。今思えば、とりあえず間違えた箇所を二重線で訂正して、その横にでも正しく書いておけば良かったのですが、担任の先生はとても厳しい人で、そういう些細なことでも気付かれたら怒鳴られると感じた私は、悩んで悩んで考えた結果、意を決して隣の席の男の子にこう言ったのでした。

「消しゴム、貸して」

その後の記憶が今となっては思い出せないのですが、男の子はすんなり消しゴムを貸してくれたような気はします。後日、なにかの時に、「なんで話さないの?あの時『消しゴム貸して』って言ったくせに。」と、この時のことを言われた記憶があります。かなり切迫した状況にならない限り、私は声を発しなかったみたいです。

ちなみに・・・

この時消しゴムを貸してくれた男の子は、後日、同じ班になったことが何度かありました。当時、給食前に班ごとに机をくっつけて姿勢を正し、先生に「よし!」と許可された班だけが給食の準備に入れるということをやっていたのですが(今となってはどういう主旨なのかわからないのだけど)、その先生の許可待ちで、姿勢を正している時間に、なぜか視線を感じたんですね。私の向かい側に座っていた消しゴムを貸してくれた男の子が私と目が合う度に「アッカンベー」だの「イ~~」の表情などをして、私を毛嫌いしていたのでした。

待ち時間の「アッカンベー」だの「イ~~」は、何日か続いたのだけど、ある日、私の隣に座っていた女の子が男の子の表情が変なのに気付いて、「●●●●(男の子の名前)、何やってんの?」と言ったことがきっかけで、それは無くなりました(笑)たぶん、消しゴムの時以外、話さなくなった私の態度に嫌悪感を覚えたんでしょうね。それ以降はまた平穏な日々に戻ったのでした。


「話さない」というだけで、嫌われたり、汚いと思われたり。そういうことは日常的にあったように思います。


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思わず本音が出た瞬間
私が小学2年生ぐらいの話です。

ある日の掃除の時間、私は教室で拭き掃除をするために手に雑巾を持っていました。これから掃除をしに行こうとしていたところに、同じクラスの男の子が1人、私のところに近づいて来て、「おい、それオレのだ。雑巾よこせ。」と言いました。私が手に持っていた雑巾は、クラスの掃除用のもので、誰のものという決まりはありません。明らかに、雑巾を自分で取りに行くのが面倒だから私から奪い取ってやろうという魂胆が見え見えなのでした。思わずムッとした私は、気が付けば面と向かってこう言っていたのでした。

「これは私が使う雑巾だよ。なんで渡さなきゃならないの?いつ誰があんたのだって決めた?」

回りに誰もいなくて、私とその男の子だけだったということもあったのかもしれません。けれど、それ以上に一瞬にして心の底から沸々と怒りがこみ上げてきて、自分が緘黙であることも忘れ、気付いたらすごい早口で男の子に文句を言っていたのでした。男の子は、私がこういう反応を示すとは思わなかったらしく、一瞬びっくりしたような表情をして、「うるせえ。」を捨てぜりふを吐き、その場からいなくなったのでした。

感情が高まると、普段冷静沈着な自分でも、理性が保てなくなるんですね。これは自分でも後から「しゃべっちゃった!!」とびっくりした出来事でした。クラスの子に文句を言えたのは、後にも先にもこの時だけです。子供の時って、まだまだ自分の感情をコントロールできないものなんですね。だからこんな風についしゃべってしまうこともあるんです。大人になったらつい喋ってしまうなんてことが無くなってきますから、緘黙症を治すならやっぱり早期がいいんだろうなって思います。


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初めて楽しいと思えた時
私が保育園時代の話です。

入園を機に場面緘黙を発症した私は、入園後も誰とも話さず、誰とも遊ばず、一人きりでいることが常でした。

そんなある日。
どういうきっかけだったのかは忘れたのだけど、自由時間に同い年の女の子1人と一緒に遊ぶことができたのでした。遊んだ場所は、保育所内にあるプレイルームの大きな窓のカーテン。束ねられたカーテンの中に2人で隠れたり出たり・・・という単純な遊びだったのだけど、その時、私はためらうことなく笑顔を出すことが出来たのでした。その時が通園し始めて初めて、「楽しい!」と私が感じた瞬間でした。

でも、その女の子とカーテンで遊べたのは、2、3回ぐらいだったのかな?それぐらいしか記憶にないので。声は出せなかったけど、笑顔を出せたのは私自身も嬉しかったように思います。今でもカーテンで遊んでる時の1シーンを鮮明に覚えてます。


おそらく、その様子をこっそりと見ていたらしい先生は、私はその女の子と気が会うと思ったらしく、その後の運動会などの行事の時、ことごとく私とその子をペアにしたのでした。実際には、カーテンで遊んだ時ぐらいしか接触はなかったと思うのだけど。会話なんてもちろん無いし(^-^;その女の子とペアになるのはイヤではなかったけれど、私の方がその子より頭1つ分ぐらい背が高かったものですから、競技がやりにくかった記憶があります。

小学校に入学してから気付いたのですが、私と一緒に遊んでくれたその女の子は発達に障害があるらしく、学校内にある特別支援学級に在籍していたのでした。今から思えば、ほとんどの子供達が私を無視していた中、彼女だけは特別視せずに私のことを見てくれたんじゃないかなっていう気がします。例え、それが彼女にとってはほんの気まぐれな行為だったとしても、私は嬉しかったな。

私は、彼女と一緒にカーテンで遊んだ記憶があるから、保育園は楽しかったと言えるような気がします。中学までは同じ学校でしたが、彼女は高校へは進学しなかったような・・・数年後、風のウワサで彼女は20歳前に結婚し、子供が6人ぐらいいるとか聞いてびっくりした記憶が。今はどうしているのかわからないけど・・・この場を借りて、彼女に「ありがとう」。


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るい

Author:るい
場面緘黙・複数の恐怖症・吃音などの経験を持つ主婦。タイトル下の文にある「中間族」とは、自己診断で場面緘黙・恐怖症と知りつつも治療を受けるほどではなく、かといって世の中を上手く渡れない、そんな中間の立場で生活している自分を例えた言葉。知らない場所・空間の中にいるのが苦手。人や環境に慣れるまでに時間が掛かり、その間は会話がなかなか成立しない為、第一印象で「大人しい・根暗・変な人」と思われがち。基本的に面白いこと大好きな明るい性格。慣れればよく喋りますが、文字の方が自分を出せてる気がします。喋るより書く方が好き。

★息子(ゴン)の紹介・・・今春から高1の15歳。運動苦手・勉強苦手・生真面目・大人しいという性格上、未就学児の頃から小学卒業まで嫌がらせなどのトラブル多数。小5、小6の2年間、学級・学年崩壊を経験。嫌がらせ・いじめ・暴力による怪我やトラブルが日常的に。クラスが落ち着き始めた頃、元友達からのストーカー行為により、ストレス性胃炎での遅刻、欠席が頻繁に。区域外の中学で心機一転、すぐに友達も出来、順調に思えた中1の5月、左足不随をきっかけに不登校に(後に心身症と判明)。同7月、WISC-IVでLDと判明。発達性協調運動障害の傾向も。約1年間の通院・カウンセリングを経て徐々に登校日数が増え、中3は欠席ゼロで中学を卒業。推薦入試で第一志望の高校合格をゲット。現在は元気に登校中。

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