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2017/11
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初めて楽しいと思えた時
私が保育園時代の話です。

入園を機に場面緘黙を発症した私は、入園後も誰とも話さず、誰とも遊ばず、一人きりでいることが常でした。

そんなある日。
どういうきっかけだったのかは忘れたのだけど、自由時間に同い年の女の子1人と一緒に遊ぶことができたのでした。遊んだ場所は、保育所内にあるプレイルームの大きな窓のカーテン。束ねられたカーテンの中に2人で隠れたり出たり・・・という単純な遊びだったのだけど、その時、私はためらうことなく笑顔を出すことが出来たのでした。その時が通園し始めて初めて、「楽しい!」と私が感じた瞬間でした。

でも、その女の子とカーテンで遊べたのは、2、3回ぐらいだったのかな?それぐらいしか記憶にないので。声は出せなかったけど、笑顔を出せたのは私自身も嬉しかったように思います。今でもカーテンで遊んでる時の1シーンを鮮明に覚えてます。


おそらく、その様子をこっそりと見ていたらしい先生は、私はその女の子と気が会うと思ったらしく、その後の運動会などの行事の時、ことごとく私とその子をペアにしたのでした。実際には、カーテンで遊んだ時ぐらいしか接触はなかったと思うのだけど。会話なんてもちろん無いし(^-^;その女の子とペアになるのはイヤではなかったけれど、私の方がその子より頭1つ分ぐらい背が高かったものですから、競技がやりにくかった記憶があります。

小学校に入学してから気付いたのですが、私と一緒に遊んでくれたその女の子は発達に障害があるらしく、学校内にある特別支援学級に在籍していたのでした。今から思えば、ほとんどの子供達が私を無視していた中、彼女だけは特別視せずに私のことを見てくれたんじゃないかなっていう気がします。例え、それが彼女にとってはほんの気まぐれな行為だったとしても、私は嬉しかったな。

私は、彼女と一緒にカーテンで遊んだ記憶があるから、保育園は楽しかったと言えるような気がします。中学までは同じ学校でしたが、彼女は高校へは進学しなかったような・・・数年後、風のウワサで彼女は20歳前に結婚し、子供が6人ぐらいいるとか聞いてびっくりした記憶が。今はどうしているのかわからないけど・・・この場を借りて、彼女に「ありがとう」。


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ジャンル : 心と身体

お誕生日会でのこと
私が保育園時代の出来事です。

保育園では、毎月「お誕生日会」という会がありました。その月が誕生月の園児を対象として、その子供達の保護者も招いてのお誕生日会を開催してくれるという、園児にしては一大イベントです。例に漏れず、私もお祝いされる時が来ました。お祝いされる園児はステージに上がり、並べられたイスにちょこんと座り、見せしめの刑となります(笑)

どういう進行でどうなって終わったのかは記憶にありませんが、1人ずつ「大きくなったら何になりたいですか?」という質問をされる場面があったのは覚えています。順に答えていって・・・いよいよ私の番。

先生 「るいちゃんは、大きくなったら何になりたいですか?」

私  「・・・・・」

先生 「さあ、何になりたいのかな?」

私  「・・・・・」

こんな状態がちょっと続いた後、最後は先生が勝手に、

「るいちゃんは、保育園の先生になりたいそうで~す♪」

と言ってのけました。会を進行しなければならない先生の立場からすれば、それは仕方のない苦肉の策だったのでしょう。その時私は、ステージの上からじっと母親の顔を見ていたような気がします。そして私の番が終わり、隣の園児の言葉を聞きながら、「私は保育園の先生になりたいのか。」と思ったりしていました。なぜ先生にマイクを向けられた時、何も話さなかったのか未だによくわからりません。おそらく、すでに場面緘黙を発症していたのだとは思います。

私自身はそんなに悪気はなかったのだけれど、家に帰って母親が、「るいは何も言わなかったねえ。」と話してるのを聞いて、自分はとても悪いことをしたのだ、という気持ちになり胸が痛くなったのを覚えています。あの時、私は話さなかったのか、話せなかったのか?この症状は、のちのちまで後を引くこととなりました。

楽しいはずのお誕生会。私にとっては全く楽しいものではありませんでした。

話はちょっと反れますが、この日以降、私は誰かに「将来の夢は?」と聞かれると、「保育園の先生」と答えるようになっていました。だって、そういう風に答えさえすれば、「何か言いなさいオーラ」から開放されるんだもの。子供ながらにその場しのぎの手段を既に会得していたのでした。



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「遊んであげて」
私が保育園時代の出来事です。

保育園での自由時間でのこと。園児達は思い思いに走り回ったり、すべり台で遊んだり、絵を描いたり・・・と笑顔が途絶えない中、私はいつも保育園の室内の、出入り口に近い壁に両手を後ろに組んで立ったまま寄りかかっていました。

誰にそうしろ、と言われたわけではありません。誰かに話しかけるでもなく、話しかけられるわけでもなく、ただそこにいてみんなの様子を見ている。いつもそんな感じでした。

ある日、いつものように壁に寄りかかっていると、同じ組の仲良し男の子2人組が私の前にやって来ました。そして何も言わずに突然私の手を引き、外へ連れだし、大勢で乗れる横乗りのブランコ(正式名称はわからないのだけど)の真ん中に私を乗せ、両脇にそれぞれ男の子が立ち乗りしをし、一生懸命にブランコを漕いでくれたのでした。でもそれはほんの少しの時間で、男の子達はその後、急に何事もなかったようにさあ~っとどこかへ遊びに行ってしまいました。

後で考えてみたら、男の子達が私のところへ近づいて来る前に、先生が男の子2人になにか話していたのを思い出しました。

「るいちゃんと遊んであげて。」

先生は、そう2人に話していたに違いありません。子供ながらに私はそういうことにはとても敏感でした。

私は、遊んでもらったんだ。

男の子達がどこかへ行ってしまい、また1人でいつもの場所へ戻っていく。あの時の漠然としたむなしい気持ちが今でも記憶の片隅に残っています。男の子達は先生に言われたから仕方なく私と遊んでくれたわけですが、ああいう気持ちの伴わない行動っていうのかな、ああいう形だけの行動って、全く持って相手の心に響かないものですね。楽しいとか嬉しいだとか、ちっとも思いませんでした。「なんだったんだ、今のは?」・・・それだけ。

義理で相手をされるぐらいなら、いつものように無視してくれた方がいいのにって思ったのでした。遊んでもらうより、いつものパターンを崩されることの方が嫌だったのかもしれません。



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ジャンル : 心と身体

負けん気の強さはこの頃から
私が保育園時代の話です。

私は保育園内ではいつも居所が無いように感じていて、自由時間になるといつもプレイルームの広いスペースへ移動し、決まった壁に行き、手を後ろに組んで壁に寄り掛かかり、みんなの楽しそうに遊んでいる様子を眺めていました。

ある日のこと。その日もいつものように壁に寄りかかっていたのだけれど、男の子が1人、急に私に近づいてきて、グーにした手でお腹を思い切り殴ってきたことがありました。今でもその男の子の名前を覚えています。1つ年下の子でした。ただ、私がそこにいただけで殴られました。私は無抵抗でした。

あまりの痛さに私はお腹を抱えて泣き崩れ、同い年の女の子が私の様子に気付いて先生に連絡してくれました。先生が駆け付けてからの記憶は無いのですが・・・幸い、私は怪我もなく何ともありませんでした。

こんなことがあったにも関わらず、私は家に帰って親に泣きついたりした記憶がありません。表には出していないけれど、この頃からすでに負けん気は強い方だったと思います。未だに殴った男の子の名前を覚えているところをみると、相当悔しかったのかなって思います。この負けん気は今でも健在です(笑)


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おもらし
「おもらし」・・・これはあまり思い出したくなかったのですが、思い出してしまったので書きます(笑)保育園時代のことです。

子供の頃のおもらしといえば、トイレに行くという考えが浮かばないとか、稚拙な要因で起こりうると思うのですが、私の場合は少し違いました。どう違うのかというと、トイレに行きたいという感覚も気持ちもあるのだけど、それを口に出して言うことが出来ないのでした。

私の場合、保育園の帰りの挨拶(HRみたいなやつ)の時間と私がトイレに行きたい時間が重なってしまうことが多く、その時間をクリアできたり、先生に気付いてもらえれば助かるのですが、先生にも気付いてもらえず、自分からも口に出せずとなると、意を決して・・・っていう感じでした。それはもう、子供心ながらとても屈辱的なことでした。自分でなにをしたのかわかってるわけですから。

保育園ではそういう事態もちゃんと想定していて、それぞれ予備の着替えは常備させてあり、それに着替えてから帰宅するわけですが、朝家を出た時と帰りの服装が違うわけですよね。家に帰ってから、姉ちゃんに「服違うんだよ~」と見せびらかして、「もらしたんでしょ!」と突っ込まれた経験があります。その日以来、着替えて帰宅しても黙ってることにしたのは言うまでもありません(笑)

おもらしは・・・記憶しているのは3回ぐらい。もしかしたらもっとしていたかもしれないし、それだけで済んだのかもしれません。いずれにしても、小学生になってからはそういうことはなかったので、保育園時代ならではの出来事だったのだとは思います。

思っていることを口に出せない・・・現在もあまり変わっていないのですが、保育園内では話が出来ないという状況だったことを考えると、私が緘黙を発症したきっかけは、やはり保育園への入園だったように思います。

保育園時代・・・自分の中で葛藤しながらの二面的生活がスタートした時期でした。


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テーマ : 体験談
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プロフィール☆

るい

Author:るい
場面緘黙・複数の恐怖症・吃音などの経験を持つ主婦。タイトル下の文にある「中間族」とは、自己診断で場面緘黙・恐怖症と知りつつも治療を受けるほどではなく、かといって世の中を上手く渡れない、そんな中間の立場で生活している自分を例えた言葉。知らない場所・空間の中にいるのが苦手。人や環境に慣れるまでに時間が掛かり、その間は会話がなかなか成立しない為、第一印象で「大人しい・根暗・変な人」と思われがち。基本的に面白いこと大好きな明るい性格。慣れればよく喋りますが、文字の方が自分を出せてる気がします。喋るより書く方が好き。

★息子(ゴン)の紹介・・・今春から高1の15歳。運動苦手・勉強苦手・生真面目・大人しいという性格上、未就学児の頃から小学卒業まで嫌がらせなどのトラブル多数。小5、小6の2年間、学級・学年崩壊を経験。嫌がらせ・いじめ・暴力による怪我やトラブルが日常的に。クラスが落ち着き始めた頃、元友達からのストーカー行為により、ストレス性胃炎での遅刻、欠席が頻繁に。区域外の中学で心機一転、すぐに友達も出来、順調に思えた中1の5月、左足不随をきっかけに不登校に(後に心身症と判明)。同7月、WISC-IVでLDと判明。発達性協調運動障害の傾向も。約1年間の通院・カウンセリングを経て徐々に登校日数が増え、中3は欠席ゼロで中学を卒業。推薦入試で第一志望の高校合格をゲット。現在は元気に通学中。

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