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2017/11
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Kちゃんと過ごした中学時代
以前書いた記事「Kちゃんがくれた奇跡」の続きになります。

Kちゃんの存在のおかげで少しずつ学校で普段の自分を出せるようになってきた私。Kちゃんと2人だけだったら、家にいる時のように会話もできるようになりました。そういう生活が数日続いた後、今まで「学校にいる自分」と「家にいる自分」が境界線でくっきり分かれていたのが、少しずつあやふやになってきたように思います。学校という場で常に緊張していた自分が、学校でも気を緩められる場面が多くなってきた、そんな感じでしょうか。

そのことを証明するような出来事を一つ、今でもはっきりと覚えています。中学の掃除の時間、廊下の床を雑巾がけをしなくてはならなかったのですが、面倒だったので手を使わずに足で適当に雑巾がけしていたんですね。ふと廊下の向こうから担任の先生がやってくるのが見えて、「やばい」と思い、手で雑巾を持ち直して掃除したのですが、遠くからでも先生はしっかり見ていたんでしょうね。すれ違う時に私に注意するかと思いきや、小さな声で「信じられない、信じられない・・・」とぶつぶつ呟きながら通り過ぎたのでした(笑) 

先生からすれば、あんなにまじめで大人しい子が足で雑巾がけをするなんて、目を疑うような、本当に想像だにしていなかった姿だったのでしょう。あの先生の驚いた顔が今でもおかしくて、忘れられません。私的には、そういう姿を先生に見られたというショックなどは全くなくて、「あ、見られちゃった」程度の感覚になっていました。Kちゃんと出会う前なら全く考えられなかったことです。

私とKちゃんが笑ったりしながら話しているのを遠くで見ていたせいでしょうか、そのうち、Kちゃんの小学校時代からのお友達からも話し掛けられることもあったりして、お友達みんなと休み時間を一緒に過ごすことが多くなりました。その時はやはり普段どおりの会話とはいかないけれど、話を聞いて一緒に笑ったりとかは出来ましたし、一気に友達も増えたみたいで嬉しかったな。そのうち、お昼休み時間を利用して、みんなで体育館へ行き、輪になってバレーボールのレシーブが何回続くか、なんていうのが仲間内で流行って、一時期ずっとやっていたりしました。私にボールが回って来た時、ふざけてグーでボールをパンチしたら、うまくパスできて、みんなで笑ったりしました。仲間内でグーでパンチ・パスも流行ったりしました(笑)

あとは、体育館の倉庫やステージ裏を使って隠れ鬼をしたり、覚えていないけれど、いろいろ遊んだな~っていう記憶があります。授業中におしゃべりしたり、小さくきった紙に手紙を書いてKちゃんと交換したり。(この小さい手紙は、実は今でも捨てられずに残してあります。)そうそう、いろいろあって、Kちゃんと一緒に授業をボイコットした時も一度ありました。その他、プライベートで同級生と遊んだのも中学の時が初めてでした。Kちゃんの家に呼ばれて何度か遊びに行ったり、私の自宅にもKちゃんを呼んだり。そういう経験を初めてしたのもこの頃。他にもいろいろあったような気がするのですが、今はちょっと思い出せません。授業中にも遊んだりしていたので成績がちょっと落ちたりして、慌てて勉強したりもしましたが、それでも中学校生活の後半はとても楽しく過ごすことが出来たのは覚えています。

それから、Kちゃんとはもう一つ、一緒にやっていたことがありました。それは、交換日記。部活の仲間とも交換日記をやっていましたから、当時、流行っていたのかな?たぶんKちゃんの方から「やろう!」って言い出した気がします。中2の後半からKちゃんと2人の交換日記を始めました。ノートは2人で交代で購入しました。たいした内容ではなかったと思うのだけれど、喋るより書くほうが得意な私としては、とても好都合でした。交換日記のおかげもあって、Kちゃんと私はお互いのことをよりよく知ることが出来て、友情も深まったんじゃないかなと思います。

この交換日記は、中学の卒業式まで続きました。その間、10冊以上は書いたかな。なんで、交換日記が中学の卒業式で終わってしまったかというと、Kちゃんは、家庭の都合で高校へは進学しなかったから。私は高校へ進学することになっていましたので、Kちゃんとすごせた楽しい時間は約2年間しかなかったのですが、私にとっては何十年にも相当するような充実した時間だったのでした。

中学を卒業してからの話は、また後日ということで。。。

【追記】
Kちゃんと続けていた交換日記。中学卒業後は、Kちゃんが自宅で保管してくれていたのですが、数年後、Kちゃんの自宅が火事になり半焼、その際に一緒に焼けてしまったとのことです。Kちゃんが出勤した後の出来事だったので、Kちゃんは助かりました。Kちゃんのお母さんも助かりました。ただ、Kちゃんのお父さんが、この火事で亡くなってしまいました。Kちゃんちに遊びに行った際、何度かお会いしたことのあるお父さんだったのですが・・・。今となっては10年以上も前の話ですが、この場を借りて改めてご冥福をお祈りいたします。



テーマ : 緘黙症
ジャンル : 心と身体

Kちゃんがくれた奇跡
前回の記事、「Kちゃんが気になる」からの続きになります。

Kちゃんに「友達になろう」と言われ、Kちゃんが毎日話し掛けてくれるようになり、Kちゃんのことがとても気になりだした私。いつの間にか、Kちゃんのことを目で追うようになっていました。Kちゃんのことがすごく気になるのです。後からわかったことですが、これが友達を好きになるってことなんですね。

どこにいても気になる存在。一緒にいると嬉しくなる存在。
学校で初めて出来た、大好きな友達。


子供は学校へ通うのが普通なんだという思いだけで、淡々と登校していた日々。それが、(Kちゃんが待っているから学校に行こう)と思うようになりました。今日は何があるかな、何の話が聞けるかな、と思いながら登校するようになりました。学校という場所に対して”怒”、”哀”、”無”の感情しかなかった私に、”喜”と”楽”が新たに加わり、やっと人間らしい感情”喜怒哀楽”を学校で感じるようになったのでした。とはいえ、”喜”と”楽”はKちゃんと一緒の時限定の感情でしたので、”無”もかなりの割合で残ってはいましたが。

Kちゃんは、とにかく根が明るくて楽しい人でした。でもどちらかと言うと大人しい方になるのかな。クラスの中で大人しい部類でしたが、友達同士だとめちゃくちゃ明るくて、Kちゃんの周りでは常に笑いが絶えない、そんな感じでした。

そんなKちゃんは、私のことをいつも気に掛けてくれました。休み時間とか教室の移動なんかでも積極的に私のところへ来て、「一緒に行こう」と声を掛けては、遠慮がちで優柔不断な態度をとっている私の手を引いて、どんどん歩いていく、そんな感じだったかな。

でもね、そういうKちゃんの態度もとても嬉しかったのを覚えています。私のあらゆる行動はほとんどが受身だったけれど、Kちゃんは友達の中の誰よりも私と一緒にいてくれました。Kちゃんのおかげで、(自分が誰かに必要とされている)という思いさえ感じ、カチンコチンだった感情の氷が毎日少しずつ溶け出してきている、そんな気がしました。

そんな学校生活が続いて、3~4ヶ月ぐらい経った頃だったと思います。Kちゃんが私に「ごめんね」と謝ってきたことがありました。どうやら、Kちゃんの私に対する行動を遠くでじっと見ていたKちゃんのお友達が、ある日、Kちゃんに言ってきたらしいのです。「いつもるいさんのこと引っ張りまわして、るいさんに悪いなって思わないの?」と。周りのお友達から見れば、Kちゃんの強引な誘いを断れずにいる私が、Kちゃんに無理矢理引っ張られて連れ回されている、そんな風に見えていたようなのです。

「言われて考えてみたら、いつも私が勝手に引っ張りまわしてるだけなのかもって思って。今までごめんね。」とKちゃん。突然の謝罪に、私は今までの楽しい時間が今日で終わってしまうのかとドキドキしたのですが、慌てて首を横に振って「大丈夫だよ」という意思表示をしました。「また一緒にいてもいい?」というKちゃんの言葉に、私は大きく首を縦に振り、頷いたのでした。

私の始終、受身の態度がKちゃんの友達に大きな誤解を招いていたことは、私にとっては思いも寄らないことでした。私自身はKちゃんと行動できることを純粋に喜んで楽しんでいたし、Kちゃんもまた毎日私と接していたことで、私のそういう気持ちを自然に理解してくれていて、その上での行動だったと思うし、Kちゃんと私の間では成立していたことが、第3者から見れば全く逆に映って見えていたことは、正直驚きました。

でも、このことでわかったことが一つ。それは、「また一緒にいてもいい?」というKちゃんの言葉から、Kちゃんが義理ではなく、本当に友達として私を慕ってくれていたという事実。先生に頼まれたから私に近づき、しょうがなく友達になったんじゃないかという疑惑がずっと心のどこかに引っかかっていたものですから、Kちゃんのその言葉で、私はまた一つ、Kちゃんに対する警戒心を解くことが出来たのでした。

「また一緒にいてもいい?」というKちゃんの言葉から、Kちゃんに対してどんどん心を開き始めた私。次第にKちゃんと2人きりなら首振りに加え、ポツリポツリと言葉でのやりとりをするようになっていました。細かいニュアンスや気持ちを相手に伝えたい時、どうしても言葉での表現が必要になるんですよね。最初は、単語だけだった会話も、数日の間に次第に長い言葉になってきて、気が付けばKちゃんの前でなら家にいる時みたいに普通に話せるようになっていました。長年の癖でついつい首振りが出る時もありましたが、それは私にとっては奇跡でもあり、とても楽しいことでした。友達と会話ができるって、なんて楽しいんだろう!Kちゃんとのたわいも無いやり取りでしたが、私は心の底からKちゃんとの会話を楽しんでいました。

この頃、Kちゃんを通じて、Kちゃんの他の友達数名と一緒に休み時間を過ごすこともありました。私はKちゃんにしか心を許していなかったので、他の友達と一緒の時は、首振りでのやり取りしかできませんでした。なので、私のいない時にKちゃんが他の友達から、「なんでるいさんはKちゃんとしか話さないの?」と聞かれたこともあったようです。(後からKちゃんが教えてくれました)

まだまだ場面緘黙症の症状は残しつつも、友達が出来、会話が出来るようになった私。それは私の今後の人生において、とても重要な意味を持つことだったと思います。Kちゃんとの出会いがなければ、今の私が存在しなかったのは明らかで、私にとって中学2年生という時期は決して忘れることのない、とても大事な節目の時だったと感じています。

続きの記事は、また後日UPさせていただきます



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ジャンル : 心と身体

Kちゃんが気になる
前回の記事「Kちゃんとの出会い」の続きになります。

中学2年生に進級したある日、突然私に「友達になろう」と言ってくれたKちゃん。その場では首を立て振りしてOKした私でしたが、その言葉が真実なのかどうか正直疑問でもありました。

単なる気まぐれでそう言ってみただけかもしれない。たとえ数日、一緒にいてくれたとしてもすぐに離れていくんでしょ。今までの人達がそうだったように。

「友達になろう」と言われて嬉しかった反面、そんな風に考えていたのも事実です。同級生の子に慕われた経験がほとんど無かったので、私の同級生に対する信頼というか親しみというか、そういったものがゼロに等しかったのだと思います。学校での行動が全て受身の生活だったこともあり、自分からアクションを起こすことがまずありませんでしたので、周りの子が私に近づこうとしないのも、私と関わりを持とうとしないのも、他ならない私自身の一連の態度がそういう状況を作り出していたからだと、大人になった今でこそ認識できるのですが、緘黙症の現役当時は、(自分は悪いことをしていない)という意識が常にあったものですから、自分より周囲の方を否定する傾向があったように思います。

さて、単なる気まぐれではないか?と私に思われていたKちゃんですが、「友達になろう」と言ってくれた日から、何かにつけちょこちょこと私のところに来ては声を掛けてくれるようになりました。教室の移動の時とかも「一緒に行こう」と誘ってくれたり、休み時間にも一緒にいてくれたり。Kちゃんはおしゃべりが大好きな子で、ちょっと早口なところがあったのだけど、すごくかわいらしい高い声質だったんですよね。なので、話し声を聞いているとまるで鳥のさえずりのように聞こえる時がありました。根が明るい子で、同じ小学校出身の子を中心に友達も数人いました。友達がいっぱいいるにも関わらず、私に声を掛けてくれたんですよね。

私とKちゃんは別の小学校出身だったものですから、Kちゃんの友達と私との面識は全くありませんでした。なので、Kちゃんが私と一緒にいる時は、Kちゃんの友達は遠巻きに別行動っていう感じ。Kちゃんが私といる時はいつも2人きりになっていました。私的には、休み時間に誰かと一緒にいられるっていうことは初めての経験で、とても新鮮で、楽しい時間だったのですが、今思えば、その間、Kちゃんが今までの友達と一緒にいる時間が減るわけですから、大変な犠牲を払ってまで私のそばにいてくれたんですよね。当時は、気持ちに余裕が無くて全くそういう考えさえ浮かびませんでしたが、そう思うと、本当に頭の下がる思いです。

Kちゃんと2人きりの時は、どんな会話をしていたのか思い出せません。
たぶん、緊張していたんだと思います。いずれにしても、Kちゃんから一方的に話し掛けられて、それに対して首振りで反応していたような気はします。声は出せないけれど、ニッコリと笑うぐらいはできたので、首を振ったり笑顔を見せたりそんな感じでのコミュニケーションだったように思います。まともな会話にならない私に話し掛けてもKちゃんはおもしろくなかっただろうにと思うのですが、小学校が違っていたこともあり、私のような人間に遭遇したことが初めてで、緘黙児をとても珍しく感じていたのかもしれませんね。最初はKちゃんの興味本位もかなりあったのではないかと思います。

けれども、Kちゃんが他の同級生と違っていたところは、そんな私に対する興味が全く衰えなかったことでしょう。本当に、毎日毎日、私に声を掛けてきてくれたのです。登校すれば「おはよう!」から始まり、ちょっと時間があれば私の席のところまでやって来てくれて、一言二言でも話し掛けてくれるんです。

最初はKちゃんに対して警戒していた私でしたが、毎日接してくれるKちゃんにいつの間にか親しみを感じはじめていました。今まで同級生に無関心だった私が、Kちゃんのことが気になりだしたのです。Kちゃんが私のところにいる時はもちろん、Kちゃんが私以外の友達と会話したり、笑ったり、その他の態度や一連の行動、ちらちらとKちゃんのことが目に留まるようになりました。

Kちゃんの私に対する態度は、明らかに他の同級生たちとは違っていました。
私はKちゃんに、「何で話さないの?」「話してみて!」と言われたことがありません。もちろん、変人を見るような眼で見られたこともありません。Kちゃんは初めて私と出会った日からずっと、他の友達と接する時と変わらない態度で私にも接してくれました。私には、それが何より一番嬉しいことでした。

「特別視されない」ということ。

それは、場面緘黙児である私自身が一番望んでいたことだったように思います。
Kちゃんの誰に対しても変わらない態度が、(私も同級生と同じ存在なんだ)ということを認識させてくれ、そして何より、私自身が場面緘黙児であることを少しずつ忘れさせてくれる第一歩となったのでした。


続きの記事は後日UPしますね



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ジャンル : 心と身体

Kちゃんとの出会い
こんにちは。なんだか更新が遅れ気味ですみません。ここのところ、ずっと過去の記事を読み返してきました。「保育園時代」「小学校時代」に続き、今回は、「中学校時代」の過去記事を読み返しました。

自分でも驚いたのですが、ブログにUPした記事の中で、すでに忘れかけていた体験談もいくつかあったりして、私が歳をとっただけなのか、はたまた記事にしたという安堵感から無意識に記憶から消去してしまったのかは不明ですが、とにかく、忘れてしまわないうちに記事にすることができて良かった!と率直に思いました。

今ふと思ったのですが、忘れかけている体験談があるということは、以前の嫌な体験を思い起こさせるような出来事がここ数年間起きていない、ということなのかもしれませんよね。それってもしかして、いろいろあったけれど、結果オーライ!っていう感じなのかな。少しずつでも以前よりいろんなところが改善されつつあるのかなと珍しくポジティブに考えてみました。(完全に、自己満足ですが(笑))


・・・ということで、ここまでが前置き(?)になります。中学校時代において、決して忘れられない大事な出会いが会ったことをまだ記事にしていなかったので、これから少しずつ書いていきたいと思います。

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それは、中学1年の後半でのことだったと思います。
中学校では、毎週月曜日に全校朝会があり、週に一度、全校生徒が体育館に集合する機会がありました。クラスごとに列になって並ぶわけですが、いつの間にか同じ1年生の隣のクラスに目がいくようになりました。

私と同じように背が一番高くて、一番後ろに並んでいる女の子。いつからか、なんとなくその子のことを朝礼のたびにチェックするようになってました。(今日も学校に来てるな)って、朝礼の日に自分の中で思うだけなのですが。ただ、”自分と同じように背が高い子がいる”っていうだけで、ホッとしていたのもあるのかな。長身であることは、自分の中でかなりのコンプレックスでしたので、おそらく私と同じような思いをしてきているだろうその子に、勝手に親近感を抱いていたのでした。

そして時は流れ、中学2年に進級する際、クラス替えがありました。場面緘黙だった私には友達がいるはずもなかったので、クラス替えなんて正直どうでもいいことでした。クラスがどう入れ替わろうとも、私は1年生の時と同じようにただ時間が過ぎるのを待っているだけ。当然、中2のクラスも黙々と過ごすことになると思っていました。

ところが中2になって数日たったある日、私は思いがけず、同じクラスの一人の女の子に声を掛けられました。「ねえ、友達になろう?」今でも、あの言葉は奇跡だったのではないかと思います。無表情でほとんど動かない、こんな私に声を掛けてくれる人がいるなんて!それはあまりにも突然の出来事だったので、私はかなりびっくりしたのですが、断る理由も特に見当たらず、首を立てに振って「OK」したのでした。以前記事にもしたのですが、中1の時に「友達になりたい」と言ってくれた子の時は、気持ちがこもっていないのが明らかで、全く私の心に響かなかったのですが、今回はその時とは違う、なんか優しさを感じたんですね。それを言葉に表すのはとても難しいのですが、その子の優しさが「友達になろう?」という短い言葉に凝縮されていたように思います。

その子と友達になってから気付いたのですが、その子こそ私が朝礼でチェックしていた女の子だったのです。いつも横顔しか見ていなかったので、正面から見た顔を知らなかったんですよね。横顔を見て気付いた時には、ほんとに驚きました。その子もまた、私のことを朝礼の時に見て覚えていてくれたのかな?とにかく、私にとってはその子と同じクラスになれたこと、そして友達になれたことにはとても運命的なものを感じたのでした。

その子のことは、今後はKちゃんと呼ぶことにしますね。Kちゃんとは、いろんな思い出があります。そして、本当に感謝しています。後日、記事をUPしたいと思いますが、今日はここまで!




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いじめ、差別、自殺予告とか・・・
さて、ソフトボール部の思い出も一段落しましたので、今回からはまた別の思い出話を書いていきたいと思います。


学校でしゃべれないとなると、緘黙経験者の中では、大なり小なり差別を受けたり、いじめられたりという経験があるのではと思います。私はというと、どちらかといえばいじめの対象となった経験は少ないとは思いますが、それでもやはり偏見は持たれていたと思います。

一番記憶に残っているのは、中学の時。音楽の授業は、音楽室に移動して行われるのですが、ある時、音楽室で授業を受けていた時、男子は席に着いていて、女子だけが音楽室の前方にあるピアノの前に立って、先生が弾くピアノに合わせてそれぞれのパート(ソプラノやアルト)を練習した時があったんですね。

その時に先生から、「そんなに広がらないで、もっとこっちに並んで~」という指示があって、私を含め、後列の人達が少し男子生徒が座っている席の方へ移動したんですね。そうしたら、前列の席にいた男子生徒が1人、私が近づいてきたのを見て、「うわあ、来たあ~。」 と言ったんです。そして、自分の机を後ろに引いて、逃げるようにしていました。私は緘黙でしたので何も言えませんでしたが、気は強い方なのでキッとその
男子生徒を睨み付けたような記憶があります。その男子生徒は悪ガキタイプで、いわゆるヤンキー、思っていることを平気で言うタイプなので、思っていることを口に出して言っただけなんでしょうが、黙ってはいるけれど他の子の中でもきっと私のことを偏見の目で見ていた子がいたんだろうなって思います。

実際今までに、話さないというだけで、「汚い」「変だ」「気持ち悪い」などと言われたこともありますし、それが周りの人の本音なのかなって思います。緘黙症かどうかは、外見からはあまり判断出来ませんし、一見、周りの子と同じように見られることから、後からの「話さない」というギャップが大きいのかなとは思います。

でも、話せない子にも、普通に接してくれる子だって沢山いるんですよね。私自身、そういう子に沢山救われてきました。緘黙児に話しかけてくれる子って、優しい心の持ち主だなって思います。だから、普段は1人の時が多くても、私の周りに集まってくれる子は、優しい子だらけだったように思います。そういう偏見を持たない人達も多少なり存在していて、そういう人達が周りにいてくれたから、私は今日までやってこれたんだろうと思います。今でも私の緘黙症状は完治したとまでは言えませんが、それなりに今まで
生きてきて、いろんな経験を積みましたので、表向きはある程度自然に対応できるようになった自分がいます。

巷では、いじめで自殺なんてことがメディアで多く取り上げられています。そういうニュースを目にするたび、心の優しい子が減っているのかなと悲しくなります。心優しい子がいたとしても、その他大勢の大きなチカラの方に動かされ、自分の本当の気持ちを出せずにいる子もいるんでしょうね。

先日、メディアで瀬戸内寂聴さんが話されていました。「今の人達は、想像力が欠如している」と。それは、子供に限らず、大人にも言えること。ちょっと相手の気持ちを想像してみればわかること。想像力がないから、相手の気持ちがわからない。虐待やいじめが一向に減らない。

・・・ごもっともです。同感です。きっと、優しい人間が優しい人間を作れるんでしょうね。心優しい親が、心優しい子を育てることができるはず。見本となるべき親が、先生が、大人達がもっと想像力や優しさを身に着ける必要があるのかもしれません。


なんか、話がずれてきましたが・・・話がずれてきたついでに書いてしまうと、個人的に、メディアでのいじめによる自殺の報道は禁止していただきたい。メディアの世の中に対する影響は莫大なものです。良いことも悪いことも、連鎖反応を起こしてしまいます。「いじめられたら、自殺すればいい」という意識を子供達に植え付けやしないかとニュースを見るたびにヒヤヒヤします。文部科学省に届いた自殺予告の手紙を文部科学省のHPで読みましたが、やはり、メディアの影響は大きかったようです。(両親宛の遺書の中でそれらしき文面が書いてあります)

メディアを通して、「今後、文部科学省宛てに届けられた自殺予告の手紙は、差出人があるものだけを本物の自殺予告文だとみなし、それ以外の手紙は、イタズラだと判断する」と発表するべきだと思います。イタズラと本物の区別がわからないまま、ただただメディアで発表するのは、子供達への影響が大きすぎると思いませんか?

なんか、ずっと心に思っていたことを、この場を借りて沢山書かせて貰いました。時間が無くなってきたので、とりあえず終わり!




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るい

Author:るい
場面緘黙・複数の恐怖症・吃音などの経験を持つ主婦。タイトル下の文にある「中間族」とは、自己診断で場面緘黙・恐怖症と知りつつも治療を受けるほどではなく、かといって世の中を上手く渡れない、そんな中間の立場で生活している自分を例えた言葉。知らない場所・空間の中にいるのが苦手。人や環境に慣れるまでに時間が掛かり、その間は会話がなかなか成立しない為、第一印象で「大人しい・根暗・変な人」と思われがち。基本的に面白いこと大好きな明るい性格。慣れればよく喋りますが、文字の方が自分を出せてる気がします。喋るより書く方が好き。

★息子(ゴン)の紹介・・・今春から高1の15歳。運動苦手・勉強苦手・生真面目・大人しいという性格上、未就学児の頃から小学卒業まで嫌がらせなどのトラブル多数。小5、小6の2年間、学級・学年崩壊を経験。嫌がらせ・いじめ・暴力による怪我やトラブルが日常的に。クラスが落ち着き始めた頃、元友達からのストーカー行為により、ストレス性胃炎での遅刻、欠席が頻繁に。区域外の中学で心機一転、すぐに友達も出来、順調に思えた中1の5月、左足不随をきっかけに不登校に(後に心身症と判明)。同7月、WISC-IVでLDと判明。発達性協調運動障害の傾向も。約1年間の通院・カウンセリングを経て徐々に登校日数が増え、中3は欠席ゼロで中学を卒業。推薦入試で第一志望の高校合格をゲット。現在は元気に通学中。

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